中学歴史「第一次世界大戦の重要ポイント」です。第一次世界大戦は、20世紀の歴史において非常に大きな影響を与えた出来事です。この戦争は、単なる戦闘の枠を超え、国際関係や社会のあり方、経済の変化など、広範な影響を及ぼしました。戦争の勃発にはさまざまな要因があり、戦後には新しい世界秩序が作られることとなります。今回は、第一次世界大戦の原因から開戦、そして戦後の重要な出来事までを振り返り、この歴史的な転換点がどのように世界に影響を与えたのかをわかりやすく解説します。
第一次世界大戦
第一次世界大戦は、三国協商(イギリス・フランス・ロシア)と三国同盟(ドイツ、イタリア、オーストリア)の対立→バルカン半島でオーストリア皇太子暗殺 →開戦→戦車や毒ガスなどの新兵器、国民を巻き込む総力戦。
- 新兵器の登場…戦車・飛行機・毒ガスなど。
- 総力戦…国民と経済、科学技術や資源を総動員し。国力を使い果たす。
ポイント | 内容 |
---|---|
戦争の原因 | 帝国主義・民族主義・同盟関係の対立、バルカン半島の不安定さ、サラエボ事件などが原因。 |
開戦のきっかけ | 1914年6月28日、オーストリア皇太子夫妻がサラエボで暗殺され、その後、オーストリアがセルビアに宣戦布告。 |
主要な同盟国 | 連合国(イギリス・フランス・ロシア・アメリカなど) vs 中央同盟国(ドイツ・オーストリア・オスマン帝国など) |
戦場 | 主にヨーロッパで戦われ、西部戦線(フランス・ベルギー)、東部戦線(ロシア)、中東、アフリカなど多方面で戦闘。 |
新兵器の登場 | 戦車、飛行機、毒ガスなどの新しい兵器が初めて使用され、戦争の形態を変える。 |
戦争の終結 | 1918年11月、ドイツが降伏し、戦争は終結。 |
戦後の重要な条約 | 1919年、 べルサイユ条約で戦後処理が行われ、ドイツに厳しい賠償金や領土削減が課せられる。 |
戦争の影響 | 多くの人命の損失、政治・経済の混乱、ロシア革命や大正デモクラシーなどの社会変動が起きる。 |
帝国主義
欧米列強による世界各地の植民地化。ロシアに対して共通の利害をもつ日本とイギリスは、1902年に日英同盟を結んでロシアの南下政策に対抗。

欧米列強
第一次世界大戦前の日本の動向
1915年、中国に対し、二十一か条の要求。
<二十一か条の要求>
- 中国政府は、山東省におけるドイツの権益を日本にゆずる。
- 旅順や大連の租借期限、南満州鉄道の利権の期限を、さらに99か年ずつ延長する。
- 南満州・東部内モンゴルでの鉱山採掘権を日本にあたえる。
- 中国の中央政府に、政治・財政・軍事の顧問として有能な日本人を招くこと。
など
第一次世界大戦後の世界の動向
国際協調と民族自決の時代へ。
- パリ講和会議…1919年ベルサイユ条約。アメリカのウィルソン大統領が良族自決の原則を提唱→国際連盟の発足。
- ドイツ…1919年ワイマール憲法。
- ロシア…1917年ロシア革命→1918年シベリア出兵→1922年ソビエト社会主義共和国連邦成立→「五か年計画」。
ベルサイユ条約
第一次世界大戦終戦に対して、1919年1月にパリで開かれたパリ講和会議ののちに結ばれたドイツとの講和条約。パリ講和会議が結ばれる。ドイツの植民地を失い、領土を縮小され、巨額の賠償金と軍縮縮小を課せられました。日本はドイツか持っていた中国の山東省の権益、植民地の委任統治権を得る。
➋日本は中国山東省のドイツ権益を引き継いだ。中国は反発。(二十一か条の要求もその背景にはある。)五・四運動へ
➌日本は、太平洋地域のドイツの植民地の委任統治権を得た。
ロシア革命
日露戦争が、長期化すると、国民の間に、皇帝の専制政治に対する不満が高まり、反戦気分が高まります。レーニンが革命を指導、帝国主義を批判し、労働者と農民の独裁を唱えた。社会主義を唱える世界で最初の政府ができました。
➋労働者・兵士の代表会議(ソビエト)が各地にできた。
➌レーニンの指導のもと、世界で初めて社会主義の政府ができた。
<革命後>
共和党の独裁により、銀行、鉄道、工場などを国営化
ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が1922年12月に成立。
<日本の対応>
1918年に、アメリカ、イギリス、フランスとともにシベリア出兵することで、ロシア革命を干渉しようとした。
第一次世界大戦前後のアジア
日本に対して、1919年中国で五・四運動、朝鮮で三・一独立運動。イギリスにはインドでガンディーが非暴力・不服従運動。
- 五・四運動…ドイツが持っていた権益を変換するように主張。パリ講和条約で無視され、中国国民の反日感情が高まる。そんな中、五・四運動は全国で反帝国主義の運動がおこる。
- 三・一独立運動…1919年に起こった、日本から独立を求める運動。日本は武力による支配を弱める。
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