【中学歴史】大正時代の重要ポイント

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日清戦争(1894年)

<日清戦争勃発までの経過>

  1. 朝鮮半島で甲午農民戦争がおこる
  2. 鎮圧のため、清と日本が朝鮮半島に出兵
  3. 清との戦争になる。
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下関条約

日清戦争後の下関講和会議で結ばれた条約。1895年4月締結。清は、遼東半島・台湾などを日本にゆずりわたし、賠償金2億両を払う。

➊朝鮮問題…清は朝鮮の独立を認める。
➋領土…遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本に譲渡する。
➌賠償金…2億両を支払う(当時の日本で約3憶円。当時の日本の財政収入の3年分相当)

日露戦争(1904年)

<日露戦争勃発までの過程>

  1. 1899年清で列強に対する抵抗運動(義和団事件)
  2. 鎮圧
  3. ロシアが満州に出兵、事件後もとどまる
  4. 1902年日本はロシアの南下に警戒するイギリスと日英同盟を結ぶ
  5. 日露で戦争になる。

ポーツマス条約

日露戦争中、アメリカの仲介により、1905年9月に講和条約が結ばれた条約。旅順・大連の租借権、北緯50度以南の樺太をゆずりうける。

➊ロシアは、韓国における日本の優越権を認める。
➋ロシアは、旅順・大連の租借権、長春以南の鉄道の利権を日本に譲渡する。
➌ロシアは、北緯50度以南の樺太を割譲する。
➍ロシアは、沿海州、カムチャツカ半島周辺の漁業権を認める。

<その後>
日本はロシアと、満州などでの勢力範囲を決める日露協約を結び、協力しあう関係を築きました。

<国内>
賠償金は、得られず、譲渡された領土も利権も少なかったとしして、国民からは講和反対の声が上がる。日比谷焼き打ち事件へ。

日比谷焼き打ち事件

日露戦争での犠牲や負担が大きく、賠償金がなかったことに対する国民の不満が爆発。

三国干渉

ロシア、ドイツ、フランスが日本に遼東半島の清への返還を勧告→返還→日本は軍備の拡張へ。

植民地獲得競争などでしのぎをけずる欧米列強は、同盟・協力関係でたがいに対抗していきました。

➊三国同盟…ドイツ、イタリア、オーストリアは、1882年に同盟を結びます。
➋三国協商…イギリス・フランス・ロシアが協力。1891年露仏同盟、1904年英仏協商、1907年英露協商

<日本の動き>
1902年日英同盟、1907年日露協約を結び、三国協商側に加わります。

不平等条約の改正

1886年のノルマントン号事件をきっかけに、日米修好通商条約の不平等な内容改正し、欧米諸国と対等な地位を得ようとした。日本は、憲法の制定と条約改正により欧米諸国と対等の地位となり帝国主義へ傾いていきます。

➊欧化政策…井上馨が進める。鹿鳴館などで舞踏会を開く。
➋ノルマントン号事件→領事裁判権の撤廃を求める世論。
➌領事裁判権の撤廃…1894年、陸奥宗光が成功。
➍関税自主権の回復…1911年、小村寿太郎が成功。

辛亥革命

1911年におこった、孫文を中心とした、民族の独立と近代国家の建設をめざす運動を機に、武漢の軍隊の反乱。

➊三民主義…「民族、民権、民主」は革命の指導理論。
➋中華民国建国…1912年、清からの独立を宣言し、孫文を臨時大総統とする国。
➌袁世凱…孫文と手を結び、清の皇帝を退位させたのち、孫文から大総統の地位を譲りうける。首都を北京に移し、独裁的な政治を行う。

第一次世界大戦と世界の動向

第一次世界大戦は、三国協商(イギリス・フランス・ロシア)三国同盟(ドイツ、イタリア、オーストリア)の対立→バルカン半島でオーストリア皇太子暗殺 →開戦→戦車や毒ガスなどの新兵器、国民を巻き込む総力戦。

  • 新兵器の登場…戦車・飛行機・毒ガスなど。
  • 総力戦…国民と経済、科学技術や資源を総動員し。国力を使い果たす

帝国主義

欧米列強による世界各地の植民地化。ロシアに対して共通の利害をもつ日本とイギリスは、1902年に日英同盟を結んでロシアの南下政策に対抗

欧米列強

欧米列強

日本の動向

1915年、中国に対し、二十一か条の要求。

<二十一か条の要求>

  • 中国政府は、山東省におけるドイツの権益を日本にゆずる。
  • 旅順や大連の租借期限、南満州鉄道の利権の期限を、さらに99か年ずつ延長する。
  • 南満州・東部内モンゴルでの鉱山採掘権を日本にあたえる。
  • 中国の中央政府に、政治・財政・軍事の顧問として有能な日本人を招くこと。

など

第一次世界大戦後の世界の動向

国際協調と民族自決の時代へ。

  • パリ講和会議…1919年ベルサイユ条約。アメリカのウィルソン大統領が良族自決の原則を提唱→国際連盟の発足。
  • ドイツ…1919年ワイマール憲法。
  • ロシア…1917年ロシア革命→1918年シベリア出兵→1922年ソビエト社会主義共和国連邦成立→「五か年計画」。

ベルサイユ条約

第一次世界大戦終戦に対して、1919年1月にパリで開かれたパリ講和会議ののちに結ばれたドイツとの講和条約。パリ講和会議が結ばれる。ドイツの植民地を失い、領土を縮小され、巨額の賠償金と軍縮縮小を課せられました。日本はドイツか持っていた中国の山東省の権益、植民地の委任統治権を得る。

➊戦勝国の利益が優先され、ドイツに巨額の賠償金や軍備縮小を押し付けた。
➋日本は中国山東省のドイツ権益を引き継いだ。➡中国は反発。(二十一か条の要求もその背景にはある。)➡五・四運動へ
➌日本は、太平洋地域のドイツの植民地の委任統治権を得た。

ロシア革命

日露戦争が、長期化すると、国民の間に、皇帝の専制政治に対する不満が高まり、反戦気分が高まります。レーニンが革命を指導、帝国主義を批判し、労働者と農民の独裁を唱えた。社会主義を唱える世界で最初の政府ができました。

➊1917年3月「パン・平和・自由」を求めて、労働省のストライキや兵士の反乱(三月革命)
➋労働者・兵士の代表会議(ソビエト)が各地にできた。
➌レーニンの指導のもと、世界で初めて社会主義の政府ができた。

<革命後>
共和党の独裁により、銀行、鉄道、工場などを国営化
ソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が1922年12月に成立。

<日本の対応>
1918年に、アメリカ、イギリス、フランスとともにシベリア出兵することで、ロシア革命を干渉しようとした。

アジア

日本に対して、1919年中国で五・四運動、朝鮮で三・一独立運動。イギリスにはインドでガンディーが非暴力・不服従運動。

  • 五・四運動…ドイツが持っていた権益を変換するように主張。パリ講和条約で無視され、中国国民の反日感情が高まる。そんな中、五・四運動は全国で反帝国主義の運動がおこる。
  • 三・一独立運動…1919年に起こった、日本から独立を求める運動。日本は武力による支配を弱める。

大正デモクラシー

護憲運動がおこり、政党政治・民主主義の発展→デモクラシーの発展。

  • 護憲運動…第一次護憲運動が1912年に起こった。憲法にもとづいて政治を守ろうとする運動。尾崎幸雄、犬養毅らは、「閥族打破・憲政擁護」をスローガンに第一次護憲運動を展開。
  • 大正デモクラシー…自由主義や民主主義を求める風潮や運動。

政党内閣の成立

米騒動→原敬が政党内閣を組閣。

  • 米騒動…1918年米の価格が急に上昇したことから米の安売りを求めて起こった暴動。

社会運動

労働争議の増加。全国水平社、青鞜社が結成。

  • 労働争議…労働者が雇い主に労働者の意見を認めさせるためにストライキなどを行う。
  • 小作争議…小作人が地主に小作料の引き下げを求める。
  • 女性運動…1920年平塚雷鳥が新婦人協会を結成。女性の政治活動の自由、高等教育の拡充などを求める。
  • 部落解放運動…1922年部落差別からの解放を目指して、全国水平社が形成される。

普通選挙法

1925年に制定された25歳以上の男子に選挙権を与える法律。同時に治安維持法も成立。治安維持法は、共産主義の活動などを取り締まる法律。

大衆文化の広まり

ラジオ放送の開始など。

  • 大衆文化…トーキー(有声映画)、ラジオ放送など
  • 文学…芥川龍之介、志賀直哉、小林多喜二など。
  • 都市の生活…文化住宅、洋食が広まり、欧米風の生活様式が流行する。

国際連盟

世界平和と国際協調をうたう最初の国際機構です。

➊ウィルソンの提案で、実現
➋1920年に発足
➌イギリス、フランス、イタリア、日本が常任理事国
➍アメリカは国内の反対で加盟せず。
➎民族自決はヨーロッパ以外の地域では考慮されず
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