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中学歴史「明治時代の重要ポイント」テストで出るところは?

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中学歴史「明治時代の重要ポイント」テストで出るところは?です。

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明治時代の流れ

明治時代は、1868年から1912年までとなります。

年号 出来事
1868 戊辰戦争/五箇条の御誓文
1869 版籍奉還
1871 廃藩置県
1872 学制の公布
1873 地租改正/徴兵令
1875 樺太・千島交換条約
1876 日朝修好条規
1877 西南戦争
1879 沖縄県ができる
1880 国会期成同盟
889 大日本帝国憲法の発布
1890 第一回帝国議会の開会
1894 治外法権の撤廃/日清戦争
1901 八幡製鉄所の操業開始/足尾銅山鉱毒事件
1902 日英同盟
1904 日露戦争
1910 韓国併合
1911 関税自主権の回復/辛亥革命(清)

岩倉使節団

岩倉使節団は、不平等条約の改正が目的。岩倉具視を全権大使として、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文らを欧米に派遣→改正交渉は不成功。欧米を視察して帰国。

政府内の対立
西郷隆盛と大久保利通の対立。1873年に西郷隆盛が政府を去る。国内に残った西郷隆盛・板垣退助らが征韓論を唱える。

  • 西郷隆盛…1877年に西南戦争をおこすが鎮圧される→政府批判は武力によるものから言論中心に変化。
  • 板垣退助…1874年に民撰議院設立の建白書を政府に提出。自由民権運動の先がけとなる。
  • 大久保利通…欧米から帰国した大久保利通らは国家の近代化を優先。

板垣退助らは大久保利通らと政策を専制政治であると批判。国民が政治に参加できる道を開くべきだと主張し、民撰議員院設立の建白書を提出し国会の開設を求めました。板垣退助は、高知で立志社を結成し、運動を進めました。

清や朝鮮との関係

三国貿易(中学歴史)
1871年に清と日清修好条規、1875年の江華島事件を口実に1876年に朝鮮と日朝修好条規を結ぶ。

  • 清…対等な立場の日清修好条規を結ぶ。
  • 朝鮮国…武力で開国を迫る。征韓論が高まりますが、岩倉具視や大久保利通らが反対。西郷隆盛、板垣退助らが政府を去る。(明治六年の政変)。軍艦を派遣して、江華島事件を引き起こし、日本に有利な不平等条約の日朝修好条規を結んで開国させます。

国境の確定

1875年樺太・千島交換条約で千島列島の領有、1876年小笠原諸島の領有が確定。

  • 北海道…蝦夷地を北海道と改め、開拓使を設置。屯田兵による開拓。先住民のアイヌの人々に対する同化政策。
  • 沖縄県…1872年琉球王国を琉球藩とし、1879年には沖縄県を設置(琉球処分)。

自由民権運動

自由民権運動は、議会政治の実現を目指す運動です。自由民権運動には、女性の参加がみられた。民撰議院設立の建白書の提出後には、板垣退助が土佐で立志社を結成した。立志社や愛国社の設立など、自由民権運動が全国的に広がる。

  • 国会期成同盟…1880年に結成。国会の開設を求める。

民撰議院設立の建白書

征韓論争で敗れ、下野した元参議ら提出。その後、板垣退助が土佐で立志社を結成。これを機に、愛国社なども設立されるなど、自由民権運動が全国に拡大していきます。一方で政府は立憲政体樹立の詔を出し、立憲政治への移行を図りました。1881年、開拓使官有物払い下げ事件→伊藤博文らは10年後に国会を開くことを約束(国会開設の勅諭)。板垣退助は自由党、大隈重信は立憲改進党を結成。→政府の弾圧などにより、激化事件が多発→活動休止。

  • 板垣退助…1874年地元の土佐に政治結社、立志社をつくり、当時薩摩藩や長州藩など一部の藩の人間のみが政治を行っていることを批判。
  • 大隈重信…自由民権運動の有力政党として、イギリス流の穏健な立憲政治による政治改革・国権伸張・地方自治の基盤確立などを目標に活動しました。

秩父事件

1884年の、松方財政下では困民党に結集した農民たちが、秩父事件を起こした。秩父事件の前後には、加波山事件、飯田事件など、自由党員を主力とする一連の激化事件がおこっている。

憲法草案の作成

植木枝盛。中江兆民らが草案を作成。

  • 中江兆民…中江兆民が参加した自由党は、政府の弾圧と党内の混乱によって解党した。保安条例によって、ほかの民権家らとともに東京から追放された

伊藤博文がヨーロッパで憲法を学ぶ。1885年、初代内閣総理大臣に伊藤博文。

韓国併合

韓国では、韓国軍の解散に反対して義兵運動を展開するなどけば、日本に抵抗したが、日本は軍隊を出動させて鎮圧した。1909年には、前韓国統監伊藤博文がハルビンで韓国の民族運動家に暗殺される事件がおこった。日本政府は1910年、ついに韓国併合をおこなって(韓国併合条約)、韓国を日本の領土とし、監視するため、朝鮮総督府を設置。

立憲制国家の成立

  • 大日本帝国憲法…1889年発布。天皇を元首とする。国民は臣民とされ、法律の範囲内で権利が認められる。
  • 帝国議会…華族などからなる貴族院と選挙で選ばれた家議院の二院制。衆議院議員の選挙権は直接国税15円以上を納める25歳以上の男子で、 人口の約1.1%にすぎなかった。
  • 教育勅語…教育の柱の忠君愛国の道徳が示される。

大日本帝国憲法

憲法発布までの流れ

  1. 1884年、政府は華族令を公布し旧公家・大名以外でも、国家に勲功のあった者に華族になる道を開いた。 明治維新の功績者は、後に華族に加えられた。
  2. 1885年、政府は太政官制を廃止し内閣制を施行して、公家出身でない者を行政の最高責任者(内閣総理大臣)の地位につけた。
  3. 1889年(明治22年)には大日本帝国憲法が発布された。

日本での人権を最初に保障した。臣民の権利として、人権は天皇からの恩恵で法律で制限されていた。

大日本帝国憲法 憲法
1889年発布、1890年施行 成立
欽定 性格
天皇 主権者
神聖不可侵 天皇
法律の範囲内で自由や権利を認める 国民の権利
天皇の協賛機関 国会
天王を助けて政治を行う 内閣
天皇の名において裁判 裁判所
法律によって制限できる 基本的人権
兵役の義務あり、天皇の統帥権 軍隊

最初の選挙

わが国最初の総選挙では、選挙人は直接国税15円以上を納入する25歳以上の男子であった。 1880年代末には制限選挙制にもとづく地方議会の制度が整い、市町村会が開かれた。最初の衆議院議員選挙では、民党勢力が過半数を占めた。

産業革命

18世紀半ばから19世紀にかけてイギリスから起こった一連の産業の変革と社会構造の変革を産業革命という。具体的には、綿工業(木綿工業)での手工業に替わる機械の発明を発端に、石炭の利用という生産技術革新が推進されていきました。このころ、資本家と労働者という社会関係からなる資本主義社会も成立していきました。

日本の産業革命は、1880年代にせんいなど軽工業の発達→北九州に官営の八幡製鉄所を建設し、1901年操業開始→重工業の発達。

  • 八幡製鉄所…日清戦争の下関条約において、清から得た賠償金で、軍事の拡張と工業化を進める。日本の重化学工業張の発展の基礎を気づいた官営の八幡製鉄所も、建設された。
  • 財閥…三井、三菱などの資本家や実業家が財閥へ成長。
  • 足尾銅山鉱毒事件などの公害調題の発生。
  • 労働者の増加→女子(二女)は賃金が低く、厳しい労働環境で働く→労働組合の結成。
    社会主義の発達→大逆事件。

このころのアジア

日本の韓国植民地化で、朝鮮の人々の同化政策を進める。

  • 1905年に保護国とする。→韓国統監府設置。初代統監伊藤博文。1910年、韓国併合・朝鮮総督府を置く→植民地として支配。日本の満州への進出・南満州鉄道株式会社の設立。
  • 中華民国の成立…1911年辛亥革命で清がほろび、1912年中華民国が建国。三民主義を唱えた孫文が臨時大総統に→袁世凱の支配→軍閥が中国を分割支配。

明治維新

江戸幕府の幕藩体制から明治の近代国家へと移る際におきた、政治、経済、社会の変化のこと。江戸を東京と改称。富国強兵は、欧米に対抗するため、経済を発展させて国力をつけ軍隊を強化。明治維新を遂行した中心人物に、西郷隆盛大久保利通木戸孝允がいる。

藩閥政治
明治政府は、江戸幕府をたおすのに尽くした西郷隆盛(薩摩藩)、大久保利通(薩摩藩)、木戸孝允(長州藩)、公家や岩倉具視らが中心で、これら特定の藩の人々で政治を行いました。このことを藩閥政治といいます。

五箇条の御誓文

明治政府による新しい政治の方針。天皇が神に誓うという形で出される。

  1. 広く会議を開いて、すべての政治は、世論に従い決定するべき
  2. 治める者と人民が心をひとつにして 盛んに国家統治の政策を行うべき
  3. 公家と武家が一体となり、庶民にいたるまで、志をとげ、人々の心をあきさせないことが必要
  4. 古い悪習を破り 国際法に基づくべき
  5. 知識を世界に求め、おおいに天皇政治の基礎を盛んにすべき

中央集権国家への道のり

1869年の版籍奉還で藩主に土地と人民を天皇に返させる→1871年廃藩置県により、藩を廃止して県を置き、中央から県令を派遣。中央政府は薩摩、長州、土佐、肥前の出身者が大多数の藩閥政府。

版籍奉還
江戸幕府がたおれたあとも、藩の領地はこれまでどおり大名が治めていあたことから、1869年、政府は、大名が治めていた土地(版図)・人民(戸籍)を朝廷に返還させたこと。

身分制度の廃止

百姓、町人を平民とする。差別されてきた人々の身分を廃止し、平民とする解放令も出される。

明治維新の三大改革

学制、徴兵令、地租改正をいいます。

➊学制…1872年公布。学校制度の創設。義務教育の制定。学校の建設費や授業料は地元で負担。当初は就学率が低かった。
➋徴兵令…1873年公布。近代的な軍隊をつくる目的で、満20歳以上の男子に対する義務とした→徴兵反対一揆。政府は、長州藩出身の大村益次郎、山川有朋らを中心に近代的軍隊をつくる準備を進め、1873年に徴兵令を出しました。この徴兵制は、重税に苦しむ農村から労働力をうばうことになるため、各地で徴兵反対の一揆がおこりました。徴兵されたのは、満20歳以上の男子に3年間の兵役の義務を課しました。戸主や相続人、役人の多額納税者は兵役を免除されたことから、農家の次男、三男が多く徴兵された。
➌地租改正…1873年公布。税制を整えて国家財政を安定させる目的。土地の所有者と価格(地価)を決めて地券を発行する。→地価を基準にして、地価の3%を地租として徴収する。→地租は、土地の所有者が現金で納める。→江戸時代の年貢の負担と変わらず、地租改正反対一揆がおこる→1877年、地組を地価の2.5%に引き下げる。

近代文化

新しい日本文化の形成。19世紀終わりに、欧米の文化をとりいれつつ、新しい日本の文化を形成

明治時代の美術

  • アメリカ人のフェノロサと岡倉天心が日本美術の復興
  • 日本画…横山大観「無我」
  • 彫刻…高村光雲
  • 西洋画…黒田清輝「湖畔」

明治時代の音楽

  • 滝廉太郎「花」、「荒城の月」

明治時代の科学

  • 北里柴三郎…破傷風の血清療法
  • 野口英世…黄熱病の研究

明治時代の文学

  • 二葉亭四迷…言文一致
  • ロマン主義(日清戦争前後) 点ん与謝野晶子(短歌) 樋口一葉「たけくらべ」
  • 自然主義(日露戦争前後)…夏目漱石「坊ちゃん」「草枕」、森鴎外「舞姫」

学校教育の普及

  • 教育の普及…1907年に義務教育を6年に延長。小学校就学率は97%に達する。中等、高等教育の拡充。女子教育の重視。

明治時代の国民の生活

実用的な西洋風の衣食住の生活は、官庁・学校・会社・軍隊などを中心に普及し、しだいに都会の一般家庭にもひろまった。1880年代から公共施設に電灯がともり、明治末期には一般家庭にもひろく用いられるようになった。

文明開化

近代国家をつくるために、欧米の文化を積極的に取り入れたことで見られた伝統的な生活や文化の変化。文明開化は大都市に限られ、農村では昔ながらの暦を使うなど、以前とあまり変わらない生活が続いた。

  • 生活…れんが造りの建物、馬車、ランプやガス灯。洋服や帽子の流行。牛肉を食べる文化。太陽暦の採用。
  • 新しい思想…福沢諭吉が「学問のすすめ」を著す。中江兆民がルソーの思想を紹介。

文明開化期、銀座に日本初のガス灯が設置された。明治初期、文明開化の風潮の中で、ちょんまげに代わるザンギリ頭や洋服の着用が流行した。西洋諸国にならい旧暦(太陰太陽暦)にかわって太陽暦が採用され、また1日24時間制、週7日制も決められた。農家では、依然として家族労働力に支えられる状況がつづいていた。

  • 神戸・横浜など開港地から新しい文化が広がる。
  • 役所・学校などで、レンガ造りの欧米風の建物が増える。
  • 道路には人力車・馬車が走り、ランプやガス灯がつけられる。
  • 洋服やコート、帽子が流行し、牛肉を食べることが広がる。
  • 太陽暦が採用され、1日24時間、1週間を7日となる。

学制

学制の公布に対しては、各地で学制反対の農民一揆がおこった。学制発布当時の小学校は、授業料を払う必要があった。小学校の就学率は、男子の方が女子より高かった。学制の対象は、士族の子弟のみではなかった。

福沢諭吉

福沢諭吉は慶應義塾を創設して教育に従事したり、『文明論之概略』を著したりするなど、多彩な活動を行った。

報道

最初の日刊新聞である『横浜毎日新聞』の創刊後、『東京日日新聞』『日新真事誌』などの新聞が相次いで発刊された。

北海道の開拓

開拓使が設置。屯田兵らが改革を進める。帰国した岩倉使節団の人々は日本の近代化を進めた。

富国強兵

欧米諸国に対抗できるように国の経済を発展(富国)させ、強い軍隊(強兵)をつくるための明治政府の政策。

  • 殖産興業…富国強兵のため国の経済を発展させる政策。

交通や鉄道の整備

1872年新橋一横浜間の鉄道が開通。

  • 郵便制度の整備…飛脚に代わる通信手段。
  • 官営模範工場の建設…群馬県の富岡製糸場で、日本の輸出の中心であった生糸を増産。

不平等条約の改正

1886年のノルマントン号事件をきっかけに、日米修好通商条約の不平等な内容改正し、欧米諸国と対等な地位を得ようとした。日本は、憲法の制定と条約改正により欧米諸国と対等の地位となり帝国主義へ傾いていきます。

➊欧化政策…井上馨が進める。鹿鳴館などで舞踏会を開く。
➋ノルマントン号事件→領事裁判権の撤廃を求める世論。
➌領事裁判権の撤廃…1894年、陸奥宗光が成功。
➍関税自主権の回復…1911年、小村寿太郎が成功。

辛亥革命

1911年におこった、孫文を中心とした、民族の独立と近代国家の建設をめざす運動を機に、武漢の軍隊の反乱。

➊三民主義…「民族、民権、民主」は革命の指導理論。
➋中華民国建国…1912年、清からの独立を宣言し、孫文を臨時大総統とする国。
➌袁世凱…孫文と手を結び、清の皇帝を退位させたのち、孫文から大総統の地位を譲りうける。首都を北京に移し、独裁的な政治を行う。
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