中学歴史「江戸時代の重要ポイント」についてまとめています。江戸時代は、日本の歴史の中でも約260年という長期間にわたる平和な時代でした。この時代には、幕藩体制や鎖国政策、農業や商業の発展、文化の大きな変化など、現在の日本にもつながるさまざまな出来事がありました。中学校の歴史で学ぶ江戸時代は、入試でも頻出のテーマです。今回は、江戸時代の重要ポイントをわかりやすく整理し、確認問題を通して理解を深められる内容をお届けします。効率よく復習して、江戸時代をしっかりとマスターしましょう!
江戸幕府
1600年の関ヶ原の戦いに勝った徳川家康が1603年に江戸幕府を開く→江戸時代の始まり。1614・1615年の2度にわたって大阪城を攻めて、豊臣氏を滅ぼしこれを、大阪冬の陣・夏の陣という。
関ヶ原の戦い
徳川家康を中心とする東軍と三成らの西軍に分かれて、18万余りの軍勢が激突したが、この戦いに勝った家康は、豊臣秀頼(秀吉の子)を一大名の地位に落として、天下の実権をにぎった。
幕藩体制
藩とは大名の領地とその支配のしくみ。江戸や大阪などの重要な地は、江戸幕府が直接支配(幕領)。
- 大名の配置…将軍の親戚である親藩、関ヶ原の戦い以前から徳川氏に従っていた譜代大名は江戸から近く、関ヶ原の戦以後に徳川氏に従った外様大名は江戸から遠くに配置。
- 武家諸法度…大名同士の禁断結婚や薬を禁止。第3代将軍徳川家光が参勤交代を制度化→江戸から遠い大名の負担大。
大名の種類
- 親藩…徳川氏の一族の大名。特に家康の子が藩主となった尾張(愛知県)・ 紀伊(和歌山県)・水戸(茨城県)の3藩を御三家といった。
- 譜代大名…関ヶ原の戦いの前から徳川氏にしたがっていた大名。親藩の大名とともに幕府の政治を動かす役職についた。
- 外様大名…関ヶ原の戦いのあと徳川氏にしたがった大名。幕府の政治には加われなかった。
江戸時代の身分
- 武士…江戸や城下町に住む。名字・帯刀の特権を持つ。
- 町人…営業税を納め,町では有力な町人が自治を行う。
- 百姓…全人口の約85%を占める。土地を持つ本百姓と土地を持たない水呑み百姓があり、有力な本百姓が村の自治を行う。五人組の制度で、年貢の納入などに連帯責任を負う。
江戸時代の産業
近世中期以降、農民たちは、茶・漆・桜・紅花・藍などの四水ニ草とよばれる商品作物の生産に力を入れるようになった。近世の農業では箱根用水が造られ、多くの耕地に灌漑用水を供給した。
- 農業…新田開発による農地拡大。
農具の発達
備中ぐわ、千歯こきなどによる生産力増加→あさ,綿などの商品作物の栽培。
江戸時代の経済
幕府は、金貨や銀貨、銭座で寛永通宝などの貨幣を鋳造→東日本では金、西日本では銀が流通→両替商の繁栄。
- 商品作物…九十九里浜のいわし漁→肥料の宇幅に加工など。
- 西木三草と特産物…四木三草の栽培が広まった。また、海外から伝えられたさつまいも・じゃがいも・ かぼちゃ・とうもろこし・すいかなども栽培されて特産物もでき、商品として売買されるようになった。
- 養蚕…養蚕もすすんで生糸は国内生産でまにあうようになった。また、木綿生産の拡大によって, 民衆の衣料は麻から木綿に代わった。
江戸時代の鉱業
鉱業は、鉱山の採掘、精錬技術から進み、佐渡銀山(新潟市)、生野銀山(兵庫県)、石見銀山(島根県)、別子銅山(愛媛県)、足尾銅山(栃木県)など鉱山の開発が進み、金・銀・銅の貨幣が大量に作られました。
江戸時代の水産業
麻糸で作った強い網の開発が行われ、九十九里浜(千葉県)で、イワシ漁で干鰯と呼ばれる肥料に加工され、綿作地域に。紀伊(和歌山県)、土佐(高知県)では、捕鯨やかつお漁がさかんになり、蝦夷地(北海道)では、ニシン漁や昆布漁がさかんに。
朱印船貿易
朱印船貿易があり渡航許可証である朱印状を持った船で行う貿易。→東南アジアに日本町ができる。山田長政らが活躍。
鎖国までの流れ
鎖国とは、外国との貿易・外交独占の体制。ポルトガル人を追放。オランダ商館を長崎の出島に移す。中国船・オランダ船以外との貿易を禁止。鎖国下の対外関係では、オランダ、中国以外とも交流。
- 1612年…幕領に禁教令(キリスト教禁止令)を出す。
- 1616年…中国船以外の外国船の来航を、平戸と長崎に制限
- 1613年…禁教令を全国に広げる。のちには絵踏でキリスト教徒を発見、宗門改で寺に仏教徒であることを証明させた。
- 1624年…スペイン船の来航禁止
- 1633年…奉書船以外の海外渡航禁止
- 1635年…朱印船貿易の停止, 日本人の出国・帰国を禁止。
- 1637年…島原・天草一揆。天草四郎(益田時貞)を大将としたキリスト教徒らが一揆→カトリックの国の排除。
- 1639年…ポルトガル船の来航禁止。
- 1641年…平戸のオランダ商館を長崎の出島に移す→鎖国体制
鎖国下の外交政策
- オランダ・清(中国)…長崎の出島で貿易。オランダには、オランダ風説書を提出させて、幕府が情報を独占。
- 朝鮮…対馬藩(長崎県)が窓口。将軍の代がわりごとに朝鮮通信使がくる。
- 琉球王国…薩摩藩(鹿児島県)が窓口。清に朝貢を行う。
- アイヌ…松前藩が交易を独占。17世紀後半、取り引きへの 不満などからシャクシャインを中心に戦いをおこす。
島原・天草一揆
島原・天草一揆は、キリスト京都の多かった島原や天草の人々が、天草四郎(益田時貞)を大将にしておこしました。幕府に鎮圧されます。このころ、鎖国が完成し、幕府による禁教、貿易統制、外交独占の体制となりました。
キリスト教徒を発見するために、キリストや聖母マリアの像を踏ませる絵踏や仏教の信者であることを証明する宗門改を行いました。
江戸時代の交通路の発達と都市の繁栄
- 道路…五街道など交通路の整備→港、宿場跡、門前町の発達。
- 海路…江戸と大阪を結ぶ菱垣廻船(木綿やしょうゆ)、樽廻船(酒)。年貢米を運送する東廻り航路、西廻り航路。
- 三都…「将軍のおひざもと」である江戸、京都、「天下の台所」とよばれた大阪。大阪には、諸藩の蔵屋敷が多く置かれる。都市では、大商人が株仲間をつくり、営業を独占。
西廻り航路と東廻り航路
西廻り航路の整備により敦賀・新潟・酒田などが栄えた。東廻り航路によって、東北地方の米を大坂を経ずに江戸に運ぶことができるようになった。
江戸
江戸は政治の中心として、「将軍のお膝元」とよばれ、大坂は業都市として発展して「天下の台所」といわれた。また、京都では手工業生産が発達した。北陸の金沢は、近世に大名・前田氏の城下町として栄えた都市であり、明治初期には日本海側で最大の人口を擁した。松江は近世に発展した都市であり、石見大森銀山のあった島根県の都市でもある。
蔵屋敷
蔵屋敷は、幕府や藩が年貢米や特産品を保管し、売りさばくために設けたもので、蔵元と呼ばれる役人が派遣されて事務を行いました。蔵屋敷は、江戸や 敦賀などにもありましたが大阪が最も多く、19世紀には120あまりの蔵屋敷が並んでいました。大阪には、東北や北陸地方から米や木材が、西日本各地からは、あい、塩などの特産品が、海路で送られてきました。それらの商品は大阪で取り引きされ、各地に運ばれていきました。
大商人の登場
都市には大商人があらわれました。
株仲間
株仲間は、問屋・仲買(卸売業者)などの大商人がつくった同業者の組合です。幕府の許可を得て営業を独占し、仲間うちで商品の値段を決めたり、買いしめたりして利益を得ました。
両替商
両替商は、金貨と銀貨を交換する業者で、おもに大阪、江戸、京都で発達しました。三井や鴻池のように大名に金を貸しつける有力な商人もあらわれました。東日本では金貨が、西日本では銀貨が主に流通していたため、両替商が必要とされました。
江戸時代幕府政治の安定と改革
- 徳川綱吉の政治
- 新井白石の正徳の治
- 徳川吉宗の享保の改革
- 老中田沼意次の政治
- 老中松平定信の寛政の改革
- 老中水野忠邦の天保の改革
第5代将軍徳川綱吉の政治
幕府の財政を補うため貨幣の質を落としたため、物価が上昇。財政の危機は一時的に救われただけで、これにともなう物価の値上りが、庶民のはげしい不満をよびおこすことになった。
- 朱子学の奨励
- 生類憐みの令を出す
新井白石の正徳の治
正徳の治を実施した新井白石は、元禄小判を改鋳して良質な正徳小判を発行した。しかし、貨幣価値の変動によって経済に混乱を招く結果となった。
- 金銀の海外流出を防ぐ。
第8代将軍徳川吉宗の享保の改革
享保改革の時期に幕府は施政に関する意見や役人の不正に対する市民への投書箱である、目安箱を設置した。実学奨励のために、キリスト教関係以外の漢訳洋書の輸入を認めた。
- 上げ来の制
- 新田開発→米将軍。
- 公事方御定書の制定。
- 目安箱の設置
老中田沼意次の政治
幕府内で権力を振るった田沼意次は、息子の意知が殺されるとともに失脚した。
- 獲物の輸出を拡大
- 印旛沼の干拓
- 株仲間の奨励→わいろの横行→夫明のききん、一揆など→失脚。
老中松平定信の寛政の改革
松平定信は、老中就任中に旗本、御家人の救援を目的として、借金の破棄、または利下げを命じる業指令を出した。江戸で町入用を節約させ、七分積金を行わせた。
- 朱子学以外の学問の禁止(昌平坂学問所)…厳しい検約令など→厳しすぎて失敗。
老中水野忠邦の天保の改革
水野忠邦は、物価を引き下げるために、株仲間を解散させた。異国船打払令を緩和して、新水給与令を出した。さらに、質素・倹約を厳しく命じて華美な風俗を禁止した。
- 株仲間の解散
- 厳しい風俗の取りしまり、大阪や江戸周辺を幕領にしようとする→失敗。
元禄文化(17世紀後半~)
17世紀末から18世紀はじめにかけて、京都や大阪の町人の社会から生まれた新しい庶民の上方文化
- 浮世草子…井原西鶴は、町人の生活や欲望を描いた。
- 人形浄瑠璃台本…近松門左衛門は、義理と人情の世界を主題とした脚本を描く。人形浄瑠璃は、現在では文楽とも呼ばれています。
- 歌舞伎…上方に坂田藤十郎(1647~1709). 江戸に市川団十郎(1660~1704) が出て、歌舞伎を演劇として確立させました。
- 俳句…松尾芭蕉「奥の細道」
- 装飾画…俵屋宗達、尾形光琳
- 浮世絵…菱川師宣「見返り美大図」
- 国学…本居宣長「古事記伝」
- 蘭学…杉田玄白ら「解体新書」
- 測量術の発達…伊能忠敬
- 庶民生活…衣服は木綿が広まり、行灯が普及しました。また、1日3食の習慣や年中行事が広まりました。
朱子学
朱子学の一派である海南学派(南学)が土佐に起こった。その流れをくむ山崎闇斎門下の佐藤直方は、幕府の判断を支持し、元赤穂藩士の討ち入りを批判した。朱子学者の室鳩巣は、幕府に登用され八代将軍吉宗の信任を得た。朱子学が広く学ばれるようになった。
- 朱子学…儒学の1つで、身分の上下を重視する考え方。五代将軍徳川綱吉が幕府の学問とした。下の秩序や礼節を重んじた朱子学は、林羅山によってひろめられた。
化政文化(19世紀初め~)
江戸で栄えた、町人文化。江戸が「将軍のおひざもと」とよばれ、政治や経済の中心地として発展すると、文化の中心地も江戸に移り、経済的な繁栄を背景にして、活力のある町人の活動に支えられて広まった。
- 錦絵…東洲斎写楽の役者絵、喜多川歌麿の美人画、葛飾北斎「富嶽三十六景」、歌川 (安藤)広重の風景画
- こっけい本…十返舎一九「東海道歴選挙」
- 長編小説…滝沢馬琴「南総里見八犬伝」
- 俳諧(俳句)…与謝蕪村、小林一茶
- 教育の広がり…諸藩で武士たちの教育を行う藩校、庶民の教育機関として寺子屋。
国学
本居宣長は、長年にわたって『古事記』を研究した成果を『古事記伝』としてまとめた。仏教や儒教が伝来する以前の日本人本来の思想を研究する学問として、国学を大成した。国学者の平田篤胤は、賀茂真淵の説をうけて復古神道を唱えたが、この説は豪農層の間にも普及した。伊能忠敬は全国の沿岸の測量を行い、『大日本沿海輿地全図』の作成にあたった。
江戸時代後期の四国遍路は、信仰上の目的だけでなく、遊興をともなう旅の名目ともなっていた。江戸時代の中期以降、「ええじゃないか」を連呼して乱舞する民衆の運動が起こった。近世の夏の祭礼盂蘭盆では、鎮守の森などで盆踊りが催された。
日本の開国
日本は、開国によって、貿易を開始します。オランダ・ロシア・イギリス・フランスとも条約を結ぶ貿易を開始です。最大の貿易港は横浜。貿易の相手国はイギリスが中心。開国の影響があり、物資の不足や金貨が大量に国外流出ことなどから物価が上昇した。自由な貿易の開始は日本の経済に大きな影響を与えた。
日米和親条約
1854年にアメリカのペリーと結び開国。
- 日本はアメリカに対して燃料や食料を提供する
- 船や乗務員を保護する
- 下田・箱館(函館)の2港を開港する
- 領事の駐在を認めること
- 日本が他の国と結んだ条約の中で有利な条件は自動的にアメリカにも与える最恵国待遇を認める
日米修好通商条約
1858年にハリスと結ぶ。外国人の犯罪を日本の法律で裁けない、関税を日本側だけで決められないといった、日本側に不利な項目もありました。つまり、アメリカに領事裁判権を認め、日本に関税自主権がない不平等条約。
➋大老の井伊直弼は条約を結ぶ際に朝廷の許しを得なかった
➌アメリカに領事裁判権を認めない
➍日本に関税自主権がない
➎神奈川・長崎・新潟・兵庫を追加開港
・関税自主権…国家が輸入品に対して自主的に関税を決められる権利。
江戸幕府倒幕までの流れ
水戸藩(茨城県)などの武士を中心に、外国人を追いはらえという攘夷論と天皇の権威を高めようとする尊王論とが結びついて、天皇を尊び外国を排除しようという運動。幕府の外交への反発→大老井伊直弼が安政の大獄で尊王攘夷派を処罰→1860年桜田門外の変→幕府は公武合体策を進める。
尊王攘夷運動
水戸藩(茨城県)などの武士を中心とした運動で、
➊外国人を追いはらえという攘夷論
➋天皇の権威を高めようとする尊王論
とが結びついて、天皇を尊び外国を排除しようという運動。
➊幕府の外交への反発
➋大老井伊直弼が安政の大獄で尊王攘夷派を処罰
➌860年桜田門外の変
➍幕府は公武合体策を進める。
桜田門外の変
安政の大獄に反発した水戸藩の浪士たちが井伊直弼を暗殺。幕府は朝廷との融和を図る公武合体政策を進めました。
世直し一揆
ええじゃないかがおこる。
復古神道
幕末、百姓一揆や打ちこわしが続発する中、復古神道が地方の民衆の間に広まった。復古神道は人々の意識を変え、国民意識を高めた。
薩長同盟
1866年。長州藩の木戸孝允と薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通らが、土佐藩の坂本龍馬の仲介で結ぶ。
大政奉還
1867年、第15代将軍徳川慶喜が政権を朝廷に返上。江戸幕府の終わり。→岩倉具視などにより王政復古の大号令。
戊辰戦争
旧幕府軍と新政府軍の戦い→新政府軍の勝利。旧幕府が降伏。700年近く続いた武士の政治が終わった。
江戸時代の確認問題
次の問いに答えなさい。
(1) 江戸時代に手工業が盛んになり, 売ることを目的に栽培されるようになった、あさや綿・あぶらななどの農作物を何というか。
(2) 幕府が銀座でつくらせた銅銭を何というか。
(3) 九十九里浜でとれたいわしを肥料に加工したものを何というか。
(4) 江戸時代に整備された東海道や中山道などの街道をまとめて何というか。
(5) 17世紀の中ごろ、木綿や油などを大阪から江戸に輸送した船を何というか。
(6) 東北地方や北陸地方の年貢米を大阪に輸送するために開かれた, 山陰地方から九州地方をまわる航路を何というか。
(7) 「天下の台所」とよばれた都市はどこか。
(8)(7)に多く置かれた各藩の年貢米や特産物を置くための倉庫を備えた邸宅を何というか。
(9) 江戸時代に営業を独占した同業者組織を何というか。
(10) 徳川綱吉が出した極端な動物愛護令を何というか。
(11) 徳川吉宗が行った幕府の改革を何というか。
(12) 徳川吉宗が定めた裁判の基準となる法律を何というか。
(13) 商業を活発化することで幕府の財政改革をめざしたが、わいろ政治への批判や一揆, 打ちこわしの増加で失脚した老中はだれか。
(14) 朱子学以外の学問を禁止するなどの寛政の改革を行った人物はだれか。
(15) 倹約令を出したり株仲間を解散させたりした老中水野忠邦の改革を何というか。
(16) 18世紀ごろから農村で見られるようになった問屋が農民に機械や資金を貸し出し、できた製品を買い取る方式を何というか。
(17) 大商人や地主が工場を建設し、人をやとって分業で製品をつくる方式を何と いうか。
(18) ききんのあとに多くおこった都市で米を買い占めた商人に対する暴動を何 というか。
(19) 日本に現れた外国船は追い払うことにした幕府が出した命令を何というか。
(20) (19)がゆるめられるきっかけとなった清とイギリスの戦争を何というか。
(21) 元禄文化で、「日本永代蔵」などの浮世草子を書いた人物はだれか。
(22) 元禄文化で、「曽根崎心中」などの人形浄瑠璃の台本を書いた人物はだれか。
(23) 本居宣長が大成した、倒幕に影響をあたえた学問を何というか。
(24) 化政文化で、「富嶽三十六景」などの錦絵をえがいた人物はだれか。
(25) 江戸時代に、読み・書き・そろばんを教えた庶民の教育機関を何というか。
江戸時代の確認問題の解答
(1) 商品作物
(2) 寛永通宝
(3) 干鰯
(4) 五街道
(5) 菱垣廻船
(6) 西廻り航
(7) 大阪
(8) 蔵屋敷
(9) 株仲間
(10) 生類憐みの令
(11)享保の改革
(12) 公事方御定書
(13) 田沼意次
(14) 松平定信
(15) 天保の改革
(16) 問屋制家内工業
(17) 工場制手工業 〔マニュファクチュア]
(18) 打ちこわし
(19) 異国船打払令
(20) アヘン戦争
(21) 井原西鶴
(22) 近松門左衛門
(23) 国学
(24) 葛飾北斎
(25) 寺子屋
➊参勤交代は、江戸と領地の間の往復や江戸の暮らしに多くの費用がかかり、大名の経済力はおさえられた。
➋江戸幕府が、鎖国へと政策を転換した理由は、(1)キリスト教徒が増加して幕府に反抗する勢力となったり、外国と結びつくことを恐れたこと、(2)西国大名が外国との貿易によって経済力を強め、幕府に対抗することを防ぐことが挙げられます。
➌江戸の政治改革は、8代将軍の徳川吉宗の享保の改革が1716年から1745年、田沼意次の政治改革が、18世紀後半、老中松平定信の寛政の改革が、1787年から1793年、老中水野忠邦による天保の改革が、1841年から1843年です。
➨大名が1年おきに領地と江戸を往復する。
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