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中学歴史「旧石器時代・縄文時代・弥生時代のポイント」

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旧石器時代

旧石器時代は、大陸と陸続きで、マンモスやナウマン象、オオツノジカなどの大型の動物がすんでいました。人々の生活は、打製石器を使い、マンモスなどをとたえて食べていました。集団をつくり、えものを求めて移動しながら簡単は小屋や岩がけで生活していました。

  • 野尻湖(長野県)…ナウマン象の牙やオオツノシカの角が発見されています。
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縄文時代

縄文時代は、日本列島が形成されていった時代で、今から約1万年前に、海面が上がり、大陸と切り離されて現在の日本の列島ができました。狩りや採集で食料を手にしていた時代です。

縄文時代の人々の生活

縄文時代の人々は、共同でたて穴住居にすみ、縄文土器を食べ物の調理などに使っていました。道具は石や木や骨などでつくりました。人々が食べたあとの貝殻などが捨てられてできた貝塚やいのりに使われた土偶から生活の様子がわかります。

  • 縄文土器…低温・黒褐色・厚手・もろい
  • 弥生土器…高温・赤褐色・薄手・固い

三内丸山遺跡

三内丸山遺跡は、青森にある約5500年前から約1500年間続いた集落のあとです。広さは東京ドームの約7.5倍です。多い時には約500人の人々が住んでいたといわれています。大型のたて穴住居は、集会所や共同作業所として使われたと考えられています。

  • 三内丸山遺跡(青森県)…巨大な集落、栗の栽培など原始的な農耕
  • 大森貝塚(東京都)…モース(アメリカ人動物学者)が発見。考古学発祥の地とされます。
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弥生時代

弥生時代は、米作りが広がり、水田の近くに定住した時代です。米作りは、今から約2300年ほど前に中国や朝鮮半島から九州北部につたわり、西日本から東日本へと広がりました。米は、保存ができるため、稲作の広がりにより生活が安定しました。

  • 唐古遺跡(奈良)…稲作文化であることを証明。
  • 登呂遺跡(静岡)…高床倉庫、水田跡が初めて発掘され、稲作文化がよりはっきりする。
  • 吉野ケ里遺跡(佐賀)…環濠集落

米作りの道具

米作りの道具は、木製のくわ、田げた、石包丁などです。収穫はした米は、高床倉庫に保存しました。高床倉庫は、湿気をふせぐために、床を高くしてあります。また、ねずみが倉庫の中に入らないようにするしかけもあります。

むらの発生

人々は、かしらを中心に、むらで協力して稲作や豊作をいのる祭りを行い、まとまりを強めました。低地に大集落形成し共同労働をし、高い生産性のため、余剰生産物があり、高床式倉庫を設置。竪穴住居に住んでいました。このころから貧富の差、階級が発生しています。

弥生文化

  • 弥生土器…縄文土器よりも、うすくてかたく割れにくいです。
  • 金属器…米作りとともに鉄器や青銅器(銅鐸・銅剣・銅矛など)が大陸から伝わります。
  • 青銅器は、祭りの道具などに使われ、鉄器は武器や農具、工具に使われました。
  • 弥生時代の遺跡…登呂遺跡、板付遺跡で水田のあとが見つかりました。
中学歴史
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