江戸幕府が行った政治については、高校入試で頻繁に出題されます。特に江戸幕府の三大改革は詳細な知識まで問われます。今日は江戸幕府が行った政策について見ていきましょう。
江戸幕府が行った政治
江戸幕府が行った政治は、江戸幕府成立時期の徳川家康~3代将軍家光が行った政治、江戸中期の5代将軍綱吉や新井白石が行った政治、そして、江戸の三大改革とわいろ政治に分けて覚えると効率がいいです。
まずは、下に江戸幕府が行った政治の概要を年表風にまとめておきます。
江戸幕府の政治史
人物 | 政治・政策・改革 | 内容 |
徳川家康~家光(3代将軍) | 幕藩体制の成立 | 幕府と藩の力で土地と人を支配する政治制度の確立。 |
徳川綱吉(5代将軍) | 天和の治 | ・儒学、特に朱子学を奨励 ・生類憐みの令 ・貨幣の質を落とす |
新井白石 | 正徳の治 | ・貨幣の質を戻す ・長崎貿易の制限 |
徳川吉宗(8代将軍) | 享保の改革 | ・上米の制 ・新田開発 ・公事方御定書 ・目安箱 |
田沼意次 | わいろ政治 | ・株仲間の奨励 ・長崎貿易の推進 ・印旛沼の干拓 |
松平定信 | 寛政の改革 | ・旧里帰農令 ・囲い米(米の備蓄) ・寛政異学の禁 ・棄捐令 |
水野忠邦 | 天保の改革 | ・株仲間の解散 ・人返し令 ・上知令の失敗 |
徳川家康・秀忠・家光の政策
江戸幕府を開いた徳川家康と、その息子である秀忠(2代将軍)孫の家光(3代将軍)は、幕府の支配力を強める政策を行います。幕府と藩の力で土地と人々を支配する政治体制である幕藩体制を作り上げました。
❶武家諸法度…妻と子は人質!江戸へ参勤交代せよ!
❷禁中並公家諸法度…朝廷、天皇・公家を統制!京都所司代は朝廷の監視!
武家諸法度「1年おきに江戸に来い!」
幕藩体制を作り上げるには、諸藩の大名や武士を厳しく統制し、幕府の力を強める必要があります。そのため出されたのが武家諸法度です。
一、諸国の城は、修理する場合であっても、必ず幕府に申し出ること。まして新しい城を造ることは厳しく禁止する。
一、幕府の許可なしに、婚姻を結んではならない。
3代将軍徳川家光のときに参勤交代が制度化され、大名は1年おきに領地と江戸を往復しなければならなくなりました。往復の費用や江戸での生活が藩の財政を圧迫します。また自分の妻子を人質として江戸に住まわせることも必要とされました。
禁中並公家諸法度「朝廷も監視!」
朝廷に対しては、禁中並公家諸法度という法律を出し、天皇や公家の行動を制限しました。また、京都所司代という朝廷を監視する部署もつくられています。
徳川綱吉・新井白石の政治
5代将軍の徳川綱吉、その後に政治を行った新井白石の政治はセットで覚えるようにしましょう。
❶綱吉「天和の治」…儒学の朱子学を奨励。生類憐みの令。貨幣の質を落としたため物価が急騰。
❷新井白石「正徳の治」…貨幣の質を戻す。長崎貿易を制限し、金銀の海外流出を防ぐ。
徳川綱吉「天和の治」
5代将軍徳川綱吉が行った政治を「天和の治」といいます。有名なのは極端な動物愛護令である生類憐みの令です。特に犬を過度に保護したことから「犬公方」とも呼ばれています。
綱吉は武力ではなく学問の力で国を治めることを重視したため(文治政治)儒学を重視し、湯島に儒教の創始者である孔子を祀る聖堂を建てました。江戸幕府の厳しい身分統制に都合がよかった朱子学を奨励します。
新井白石「正徳の治」
6代将軍徳川家宣に仕えた新井白石は、綱吉が出した生類憐みの令を取りやめたり、貨幣の質を戻したり、綱吉とは反対の政策を行います。
また、長崎貿易で大量の金貨・銀貨が海外に流出していたので、長崎貿易を制限する政策をとります。
徳川吉宗「享保の改革」
江戸幕府の三大改革の一つ「享保の改革」を行ったのが8代将軍徳川吉宗です。この改革が行われた理由は、冷夏と害虫により享保の大飢饉が起こったためです。食糧難・財政難を克服するために享保の改革を行いました。
❶上米の制…参勤交代を軽減する代わりに米を多く収めさせる。
❷新田開発…飢饉にならないように米を増産。
❸公事方御定書…裁判の基準を明確化。
❹目安箱…庶民の意見を政治に取り入れる。
上米(あげまい)の制「参勤交代軽くする代わりに米!」
江戸幕府の財政は、各藩から納められるお米で成り立っていました。そこで吉宗は、 幕府の財政を立て直すために、幕府に入るお米の量を増やしました。代表的な政策として、上米(あげまい)の制が行われました。
諸大名が、参勤交代で江戸にいる期間を短縮するかわりに、米を多く納めさせるという政策です。
新田開発
再び飢饉が起こったとしても、お米が不足しないように新田開発にも力を入れます。このため、吉宗は「米将軍」とも呼ばれています。
公事方御定書「裁判の基準!」
裁判を公正に行うために公事方御定書という法律を制定しました。これで公正な裁判ができるようになりました。
目安箱「庶民の意見を政治に反映!」
庶民からの意見を政治に反映させるため、目安箱も設置されました。この目安箱の設置によって、小石川養生所という無料の医療施設が建てられたことも覚えておきましょう。
田沼意次「わいろ政治」
10代将軍徳川家治のときの老中として手腕を発揮したのが田沼意次です。わいろ政治を行ったことで有名ですね。その政策を詳しく見ていきましょう。
❶株仲間の奨励…同業者団体である株仲間を奨励するかわりに税を課す。
❷長崎貿易の拡大…俵物などの貿易を拡大し税収アップを図る。
❸印旛沼の干拓…農業などの一次産業全体の増産を図る。
株仲間の奨励「営業独占する代わりに税取るよ!」
老中田沼意次は商業を活性化させるために、商人や手工業者の同業者組合である株仲間を奨励しました。営業の独占権を与える代わりに税を納めさせたのです。
また、幕府や藩に銅の生産や販売を独占させる専売制を導入したり、俵物の輸出を拡大するために、蝦夷地の調査なども行っています。
長崎貿易の推進
俵物などの貿易にも力を入れさせます。その代わり貿易額に一定の税を課すようになります。このように、田沼意次が行った政策は、経済政策になるのです。
印旛沼の干拓
新しく田畑を造るために、印旛沼の干拓事業も手掛けます。米や野菜などの農作物の増産の他にも、各地の鉱山・蝦夷地などの開発を行い、一次産業全体の増産をはかりました。
一揆・打ちこわしの増加
こうした田沼の政策は、商人や手工業者に有利な政策でした。わいろも横行し、農民の不満は募り、一揆や打ちこわしの件数が増加しました。
松平定信「寛政の改革」
浅間山が噴火したり、冷害が日本を襲い天明の大飢饉が発生し、東日本を中心に大きな被害が発生しました。その立て直しを図ったのが、老中の松平定信です。田沼とは正反対の政策「寛政の改革」を行います。
❶旧里帰農令…都市部の農民を農村に帰し、米の生産に力を入れさせる。
❷囲い米…倹約し、米を備蓄させる制度。
❸寛政異学の禁…儒教の朱子学以外は学べない。昌平坂学問所も立てた。
❹棄捐令(きえんれい)…旗本・御家人の借金帳消し。
旧里帰農令「農民は農村へ帰れ!」
寛政の改革でも、米の増産に力を入れます。都市部に出稼ぎに来ていた農民を農村に帰るように促します(旧里帰農令)。わいろ政治の横行で、出稼ぎに来ていた農民の中に没落したものが沢山いたからです。そんな農民を農村に帰し、農作物の安定供給を目指しました。
また、都市部で仕事がない人やホームレスたちのために、人足寄場と呼ばれる職業訓練所も設けています。
囲い米「米を備蓄せよ!」
寛政の改革の前に、天明の大飢饉が日本を襲います。東北地方では冷害が発生し、関東では浅間山も噴火します。こうして日本は大飢饉に見舞われ、多くの餓死者を出す惨事になりました。
同じような飢饉が起こっても、餓死者が出ないようにするために、米を備蓄をしておくように勧めたのが囲い米の制です。幕府が各大名に命じ、1万石につき50石の米の備蓄するように命じました。
寛政異学の禁「朱子学以外はダメ!」
田沼意次の政治で風紀が乱れたことが気になったのか、松平定信は緩んだ風紀を引き締める政策にでます。寛政異学の禁という制度をつくり、儒学の朱子学以外の学問を教えることを禁止しました。
蘭学だけではなく、日本の学問である国学も学べなくなります。また、贅沢品を取り締まる倹約令も出しています。
棄捐令「旗本・御家人の借金帳消し!」
寛政の改革では、財政難におちいった旗本や御家人を救済するための棄捐令(きえんれい)も出られました。武士がお金を借りていた札差(ふださし)に対し、借金を放棄させる武士の救済法です。
この他にも、江戸に人足寄場という職業紹介所などもつくり、財政的に窮地におちいった武士を助ける政策を行っています。
水野忠邦「天保の改革」
11代将軍である徳川家斉の時代に、大雨・洪水や冷害が原因で天保の大飢饉が起こりました。米の値段が急上昇し、百姓一揆や打ちこわしが続出します。また、大塩平八郎の乱も起こり、政治の立て直しを迫られます。
そこで、老中水野忠邦は天保の改革を行い、国政の立て直しを図ります。農業中心の厳しい政策を断行しようとし、結局失敗に終わります。
❶株仲間の解散…物価の上昇を抑える!
株仲間の解散
田沼意次のわいろ政治では、株仲間を奨励する政策が行われました。その代わりに税を納めさせましたが、水野忠邦の天保の改革では、株仲間が解散させられます。その狙いは、物価の上昇に歯止めをかけることです。株仲間を解散させることで、自由に物の値段を付けられるようにしました。
人返し令「農民は農村に帰れ!」
当時江戸は、世界で最大の人口を誇る都市でした。これは農村から多くに人口が流入していたことを意味します。そこで水野は、農民をもとの農村に帰して、幕府の大事な財源である年貢を確保しようとしたのです。これが人返し令になります。
上知令の失敗「領地を取り上げる?」
上知令とは、江戸や大坂の近くにいる大名や旗本から領地を取り上げて、代わりの土地に移動させるという命令です。これで、幕府の力をアップさせようとしたのですが、もちろんこれは失敗に終わり、水野忠邦は失脚します。
江戸幕府の三大改革と政策の対策問題
(1)江戸幕府が1615年に定め、以後、将軍の代がわりごとに出された、大名を統制するための決まりを決まりを何というか。
(2)徳川家光が制度化した、大名に1年おきに領地と江戸を往復させる制度を何というか。
(3)江戸幕府で、朝廷を監視するために京都に置かれた役職を何というか。
(4)第5代将軍徳川綱吉が奨励した儒学の中で、身分秩序を重視する学派を何というか。
(5)徳川綱吉が出した、極端な動物愛護政策を何というか。
(6)新井白石の意見を取り入れて行われた政治を何というか。
(7)紀伊藩主から第8代将軍になった徳川吉宗が行った政治改革を何というか。
(8)参勤交代での大名の江戸での滞在期間を、1年から半年に短くするかわりに、幕府に米を納めさせた制度を何というか。
(9)徳川吉宗が裁判の基準とするために定めた法律を何というか。
(10)徳川吉宗が庶民の意見を聞くために、江戸に設置した投書箱を何というか。
(11)18世紀後半、田沼意次は何という役職について政治を行ったか。
(12)田沼意次が奨励し、特権を与える代わりに営業税を取った、商工業者の同業者組織を何というか。
(13)藩や幕府が、特定の物品の生産や販売を独占する制度を何というか。
(14)田沼意次の後、老中の役職に就いた松平定信が、祖父の徳川吉宗の政治を理想として行った改革を何というか。
(15)松平定信が江戸の湯島に創った学問所を何というか。
(16)(15)で教えさせた学問は何か。
(17)1841年から水野忠邦が始めた幕府の改革を何というか。
(18)水野忠邦が、物価の上昇を抑えるために解散させた、営業を独占していた商工業者の同業者組合を何というか。
(19)水野忠邦が実施しようとした、江戸・大阪周辺の農村を幕領にしようとした政策を何というか。
江戸幕府の三大改革と政策の対策問題解答
(1)江戸幕府が1615年に定め、以後、将軍の代がわりごとに出された、大名を統制するための決まりを決まりを何というか。
武家諸法度
(2)徳川家光が制度化した、大名に1年おきに領地と江戸を往復させる制度を何というか。
参勤交代
(3)江戸幕府で、朝廷を監視するために京都に置かれた役職を何というか。
京都所司代
(4)第5代将軍徳川綱吉が奨励した儒学の中で、身分秩序を重視する学派を何というか。
朱子学
(5)徳川綱吉が出した、極端な動物愛護政策を何というか。
生類憐みの令
(6)新井白石の意見を取り入れて行われた政治を何というか。
正徳の治
(7)紀伊藩主から第8代将軍になった徳川吉宗が行った政治改革を何というか。
享保の改革
(8)参勤交代での大名の江戸での滞在期間を、1年から半年に短くするかわりに、幕府に米を納めさせた制度を何というか。
上米の制
(9)徳川吉宗が裁判の基準とするために定めた法律を何というか。
公事方御定書
(10)徳川吉宗が庶民の意見を聞くために、江戸に設置した投書箱を何というか。
目安箱
(11)18世紀後半、田沼意次は何という役職について政治を行ったか。
老中
(12)田沼意次が奨励し、特権を与える代わりに営業税を取った、商工業者の同業者組織を何というか。
株仲間
(13)藩や幕府が、特定の物品の生産や販売を独占する制度を何というか。
専売制
(14)田沼意次の後、老中の役職に就いた松平定信が、祖父の徳川吉宗の政治を理想として行った改革を何というか。
寛政の改革
(15)松平定信が江戸の湯島に創った学問所を何というか。
昌平坂学問所
(16)(15)で教えさせた学問は何か。
朱子学
(17)1841年から水野忠邦が始めた幕府の改革を何というか。
天保の改革
(18)水野忠邦が、物価の上昇を抑えるために解散させた、営業を独占していた商工業者の同業者組合を何というか。
株仲間
(19)水野忠邦が実施しようとした、江戸・大阪周辺の農村を幕領にしようとした政策を何というか。
上知令
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