日清戦争の前後の流れ

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日清戦争

日清戦争風刺画

作者:Georges Ferdinand Bigot
引用:ウィキメディア

魚(=朝鮮)を釣り上げようとする日本と中国(清)、横どりをたくらむロシアを描いた風刺画

<日清戦争勃発までの経過>

  1. 朝鮮半島で甲午農民戦争がおこる
  2. 鎮圧のため、清と日本が朝鮮半島に出兵(鎮圧後も日本・清の両国とも朝鮮から兵をひかなかった)
  3. そのため清との戦争になる。
甲午農民戦争は、農民に押し付けられた重税により、農民は貧困。減税はもちろん、腐敗した役人の追放や、日本をふくむ外国の排除を求めた1894年に勃発した反乱。
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下関条約

日清戦争後の下関講和会議で結ばれた条約。1895年4月締結。清は、遼東半島・台湾などを日本にゆずりわたし、賠償金2億両を払う。日本は、清からの多額の賠償金をもとに、産業開発の投資や軍備の増強を行った。例として、八幡製鉄所などを建設。

➊朝鮮問題…清は朝鮮の独立を認める。
➋領土…遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本に譲渡する。
➌賠償金…2億両を支払う(当時の日本で約3憶円。当時の日本の財政収入の3年分相当)

朝鮮が清の属国でなくなり、朝鮮が独立国となったこともあり、、朝鮮は国名を「大韓帝国」に1897年に変更。

三国干渉

日清戦争での日本の勝利を脅威に思ったロシア、ドイツ、フランスが日本に遼東半島の清への返還を勧告→返還→日本は軍備の拡張へ。日本国内ではロシアに対する反発から、臥薪嘗胆という言葉が流行。日露戦争への風潮が高まっていった。

植民地獲得競争などでしのぎをけずる欧米列強は、同盟・協力関係でたがいに対抗していきました。

➊三国同盟…ドイツ、イタリア、オーストリアは、1882年に同盟を結びます。
➋三国協商…イギリス・フランス・ロシアが協力。1891年露仏同盟、1904年英仏協商、1907年英露協商

<日本の動き>
1902年日英同盟、1907年日露協約を結び、三国協商側に加わります。

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