鎌倉時代の学習です。
ここで差がつく!➊金剛力士像は、東大寺南大門に安置されている像で、運慶・快慶らが作った。
➋御成敗式目は、御家人の裁判の基準であり、1232年に北条泰時が制定した。
➌御恩とは、将軍が御家人の先祖伝来の土地を保障したり、恩賞として新たに土地を与えたりすること。奉公とは、将軍に忠誠を誓い、戦いのときにはかけつけて命をかけて軍役を果たすことである。
➋御成敗式目は、御家人の裁判の基準であり、1232年に北条泰時が制定した。
➌御恩とは、将軍が御家人の先祖伝来の土地を保障したり、恩賞として新たに土地を与えたりすること。奉公とは、将軍に忠誠を誓い、戦いのときにはかけつけて命をかけて軍役を果たすことである。
【記述対策】鎌倉時代の武士は、どのような場所に住み、どんな生活を送っていたか?
➨館(やかた)を構えて住み、下人や農民を使って農業を営んで生活していた。
➨館(やかた)を構えて住み、下人や農民を使って農業を営んで生活していた。
鎌倉幕府
源頼朝は、1185年、朝廷の許可を得て国ごとに守護、荘園や公領ごとに地頭を置き、武士による政治の体制をと問えます。1192年には、征夷大将軍に任じられます。源頼朝が鎌倉に開いた幕府です。この時代を鎌倉時代といいます。将軍と御家人は、「御恩と奉公」の関係で結ばれます。
- 御恩…御家人の土地を守る/てがらをたてると領地を与える/守護・地頭に任命する。
- 奉公…将軍のために戦う/京都や鎌倉を警護する/守護・地頭などの役目について働く。
鎌倉幕府のしくみ
<中央>
- 侍所…御家人のとりしまり
- 政所…政治の実務
- 問注所…裁判の仕事
<地方>
- 守護…御家人のとりしまり
- 地頭…荘園や公領のとりしまり
- 六波羅探題…京都の警備、朝廷の監視。
執権政治
源氏の将軍が3代でとだえた後、とくに、源頼朝の死後、北条時政は娘の政子とともに実権の掌握をし、その後、北条氏が執権の地位を独占し、幕府の中心となった政治体制。
- 承久の乱…朝廷が幕府をたおそうとして失敗。これがきっかけで、六波羅探題を設置。幕府の力が西国まで及ぶようになります。
武士の生活
このころの武士の生活は、一族の長を中心に団結し。ふだんから武芸に励みました。
このころの武士の生活は、一族の長を中心に団結し。ふだんから武芸に励みました。
元寇
モンゴルのフビライ・ハンが大都(現在の北京)を都とて建国したのが元です。その元が、二度にわたって北九州に攻めてきたできごとを元寇といいます。執権の北条時宗は、武士を集めて経ちました。
元寇の戦法
集団戦術で「てつはう」と呼ばれる火薬兵器を使いました。
集団戦術で「てつはう」と呼ばれる火薬兵器を使いました。
文永の役と弘安の役の間には、異国警固番役制度化したり、博多湾に石塁(防塁、石築地)を設置したり対応。元寇の様子は、肥後の御家人竹崎季長が、自分の活躍を描かせ、見事恩賞を勝ち取った『蒙古襲来絵巻』からわかる。
徳政令
幕府は借金を帳消しにする徳政令を出しましたが効果はなく、1333年に鎌倉幕府はほろびます。
徳政令の背景(理由)
元寇で最終的に元軍は、引き上げましたが、幕府は、外国との戦いのため幕府も新しい領地を与えられなかったため、活やくした御家人に恩賞を与えられませんでした。また、役目の負担などで生活に苦しむ御家人が増えました。これらにより、幕府に対する御家人の不満が高まります。
元寇で最終的に元軍は、引き上げましたが、幕府は、外国との戦いのため幕府も新しい領地を与えられなかったため、活やくした御家人に恩賞を与えられませんでした。また、役目の負担などで生活に苦しむ御家人が増えました。これらにより、幕府に対する御家人の不満が高まります。
鎌倉文化
朝廷の文化と武士の気風を反映した素朴で力強い文化です。法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗、禅宗など。武士・民衆ににわかりやすく新しい仏教の宗派が生まれた。
- 浄土宗 法然 念仏を唱えれば極楽浄土に行ける
- 浄土真宗 親鸞 信じる心があれば救われる
- 時宗 一遍 踊り念仏
- 日蓮宗 日蓮 日蓮が題目を唱えればこの世が救われる
- 曹洞宗 道元 厳しい修行でさとりを開く
鎌倉時代の文学・彫刻
- 彫刻…東大寺南大門にある運慶らの金剛力士像。
- 平家物語…琵琶法師が語り伝えた軍記物。
鎌倉新仏教
比較 | 浄土宗 | 浄土真宗 | 時宗 | 日蓮宗 | 臨済宗 | 曹洞宗 |
---|---|---|---|---|---|---|
開祖 | 法然 | 親鸞 | 一遍 | 日蓮 | 栄西 | 道元 |
寺院 | 知恩院 | 本願寺 | 清浄光寺 | 久遠寺 | ||
教え | ひらすら念仏 | 念仏 | 踊念仏 | 題目を唱える | 座禅 | 座禅 |
鎌倉時代の産業の発達
<農業>
牛や馬を使った工作や、鉄製の農具の使用が広まります。米を作ったあとに麦をつくる農業の二毛作も始まりました。裏作は、麦が中心でした。肥料の改良もされ、刈敷や草木灰を使用。商品作物が誕生しました。
<商業>
毎月決まった日に市(定期市)が開かれるようになります。
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