平安時代(摂関政治と国風文化)についてまとめています。平安時代について、摂関政治、国風文化、武士のおこり、院政・平氏の政治などにふれています。それでは、平安時代(摂関政治と国風文化)をみていきましょう。
平安時代
794年に桓武天皇が京都に移したのが平安京です。この都で政治が行われた時代を、平安時代といいます。このころ、新しい仏教として、唐で学んだ最澄が天台宗、空海が真言宗を広めます。
摂関政治
貴族の藤原氏が、天王が子どものときは摂政、成人してからは関白として職について行った政治です。藤原氏は、むすめを天皇のきさきとし、その子どもを次の天皇とすることで権力を握りました。11世紀前半の藤原道長とその子の寄り道のときに最も栄えました。
安和の変(969)
藤原北家による他氏排斥が完了し、摂関常置の契機
藤原北家による他氏排斥が完了し、摂関常置の契機
- 勘解由使…国司の不正を監視するために設けた。国司は交代の際に、後任者が前任者に仕事がきちんと行われていたという証明書を渡す。これを解由状という。中央にいて、解由状を審査することによって、不正を防ぐ。
- 健児…それまでの軍団の制度が機能しなくなったため、郡司の子弟から採用。
- 荘園の増加…地方の豪族や有力な農民は、税金をのがれるために、開こんした土地を貴族や寺院・神社にすすんで寄付しました。
武士の成長
平安時代の中ごろ、自衛のため武力をもった農民が武士となり、武士団を組織。10世紀半ば、関東の平治の乱、瀬戸内海の藤原純友の乱、武士の力を借りて鎮圧します。平清盛と平氏が有力。
国風文化
- 遣唐使の停止…唐がおとろえたことなどを理由に菅原道真が提案
- かな文字…漢字をもとにつくられました。紫式部の「源氏物語」や清少納言の「枕草子」、「古今和歌集」など、すぐれた文学作品が生まれました。
- 大和絵…貴族の生活がえがかれ、絵巻物にも使われました。
- 浄土信仰…死後に極楽浄土にうまれかわろうとする信仰。社会に不安が広がったことを背景に広まります。各地に阿弥陀堂がつくられ、藤原頼道は平等院鳳凰堂を建てました。
<貴族の生活>
寝殿造のやしきに住み、男性は束帯、女性は十二単とよばれる服装をしました。和歌やけまりを楽しみ、年中行事も行いました。
寝殿造のやしきに住み、男性は束帯、女性は十二単とよばれる服装をしました。和歌やけまりを楽しみ、年中行事も行いました。
- 寝殿造…母屋である寝殿を中心に、渡り廊下でるながれた建物です。広い庭と池があります。
院政
天皇の位をゆずったのちに、上皇として行う政治です。荘園を保護しました。
<武士のおこり>
地方の豪族などが自分の土地を守るために武装し、やがて、朝廷や貴族の警護などを行うようになりました。10世紀半ば、平将門の乱や藤原純友の乱がおきました。朝廷はほかの武士の力をかりて反乱をしずめました。
地方の豪族などが自分の土地を守るために武装し、やがて、朝廷や貴族の警護などを行うようになりました。10世紀半ば、平将門の乱や藤原純友の乱がおきました。朝廷はほかの武士の力をかりて反乱をしずめました。
- 武士団…一族を中心とした武士の集団
- 源氏と平氏…源氏は東日本、平氏は西日本に勢力をのばしました。
- 平清盛…保元の乱、平治の乱に勝利して、源氏をおさえ、政治を行いました。武士として初めて太政大臣となりました。神戸の港を整備して、中国(宋)と貿易を行いました。貴族と同じような政治を行い、武士たちは反感をもちました。
- 源平の合戦…源頼朝が弟の源義経らを派遣し、壇ノ浦で平氏をほろぼしました。
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