【中学歴史】昭和時代の重要ポイント

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世界恐慌

世界恐慌は、1929年から始まった世界的な不況。アメリカ・ルーズベルト大統領がニューディール政策を実施。植民地の多い国である、イギリスやフランスはブロック経済を実施。植民地の少ない国であるドイツではヒトラーがナチスを、イタリアではムッソリーニがファシスト党を結成→ファシズム。

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ニューディール政策

積極的な公共事業。農業や工業の生産調整、労働組合の保護を推し進めた。

ブロック経済

イギリス・フランスがとった対応で、植民地と本国との貿易を拡大し、他国からの商品に対する関税を高くする経済政策。

5カ年計画

ソ連は、それ以前からの経済計画(5カ年計画)を行っていたので世界恐慌の影響を受けなかった。各国は、それぞれの方法で経済の復興を目指した。

このころの日本

1923年関東大震災→1927年金融恐慌→昭和恐慌→1919年五・一五事件、1936年二・二六事件→軍国主義へ。

  • 五・一五事件…1932年に海軍の青年将校らにより犬養毅首相が暗殺され、政党政治は終わった。
  • 二・二六事件…陸軍の青年将校らが部隊を率いて政府要人名重要施設を襲撃した。昭和恐慌の影響でアメリカ市場向けの生糸輸出額が急減した。

昭和恐慌

昭和恐慌の原因は、世界恐慌の影響と金解禁による不況の2つが重なったことによる。昭和恐慌の後には、日本は柳条湖事件を発端として、中国への侵略を拡大していった。世界恐慌からの回復期には、日本における低賃金・長時間労働に対してイギリスから非難が寄せられた。

第二次世界大戦と太平洋戦争

深まる戦争体制になります。1931年柳条湖事件→満州事変→1932年満州国の建国→1933年国際連盟の脱退→1937年盧溝橋事件→日中戦争→1938年国家総動員法→1940年大政翼賛会。

  • 国家総動員法…1938年国の産業・経済・国民生活など全てを国が統制する権限を持つとして出された法律。
  • 大政翼賛会…挙国一致のために結成された団体。ほとんどの政党や団体が解散して合流した。

第二次世界大戦

ドイツが独ソ不可侵条約を結び、ポーランドに侵攻→枢軸国と連合国の戦い→イタリア、ドイツの降伏。

  • 独ソ不可侵条約…1939年8月、ドイツとソ連との間で結ばれた相互不可侵条約。付属の秘密議定書では東ヨーロッパにおける両国の勢力圏が定められ、両国はこれに従ってポーランドを分割した。1941年6月、独ソ戦の開始によって消滅。

太平洋戦争

1940年目独伊三国同盟→「大東亜共栄圏」の建設を唱え太平洋に進出→ABCD包囲陣→アメリカと開戦。

  • ABCD包囲陣…アメリカ、イギリス、中国、オランダは、ABCD包囲陣を強化して日本に対抗。日中戦争の長期化のさなか、1939年には、ノモンハンで関東軍とソ連軍との2度目の軍事衝突が起きた。

敗戦へ

学徒出陣や学童の集団疎開→1945年8月6日広島、8月9日長崎に原子爆弾→ポツダム宣言を受け入れ降伏。

  • 1941年 大西洋会談:チャーチルとローズヴェルト→大西洋憲章。
  • 1943年 カサブランカ会談:地中海作戦→カイロ会談:対日作戦→テヘラン会談:ヨーロッパ第二戦線の形成。
  • 1945年 ヤルタ会談:対独最終作戦とソ連の対日参戦→ポツダム会談:対日処理方針のポツダム宣言を発表。

日本の降伏とポツダム宣言

  • カイロ宣言…1943年、アメリカ、中国、イギリスがカイロで会議。日本の無条件降伏を目指すことを確認。
  • ヤルタ会議…1945年2月、アメリカ、イギリス、ソ連がヤルタで会議。ドイツの降伏後のソ連参戦が決まる
  • ポツダム宣言…1945年7月、アメリカ、イギリス, ソ連は,ドイツ のポツダムで会談し、日本に無条件降伏を求めるポッダム宣言を発
    表しました。

日本政府は、当初、ポツダム宣言を受け入れるかどうかについて政府・軍部の意見がまとまらず、対応がおくれました。

原子爆弾

1942年のミッドウェー海戦の大敗で、日本の戦局は不利に。B29爆撃機による東京への空襲でより形勢は不利に。とどめにとして、広島、長崎に原爆が落とされ、無差別に大量の殺戮をもたらされる。1945年8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾が投下されました。犠牲者数は、原爆投下から数年以内に、広島では20万人以上、長崎では14万人以上の人がなくなったと推定されています。

このころの国民生活

価格等統制令が施行されると共に、砂糖、マッチ、木炭などに切符制が導入される。物資が不足する中、日用品への統制も強まりました。それでも、配給だけでは不足するようになり、食料の闇取引もおこなれていました。

  • ソ連の参戦…1945年8月8日、日ソ中立条約を破ってソ連が参戦し、満州・朝鮮などに侵攻しました。
  • 無条件降伏…8月14日、政府はポツダム宣言の受諾を決定し、翌日8月15日、昭和天皇がラジオで無条件降伏したことを国民に知らせました。
  • 日本からの解放…朝鮮、台湾などの植民地や占領されていた東南アジア諸国が日本から解放されました。

戦後の日本と非軍事化

  • 領士…北海道・本州・四国・九州とその周りの島々に限りに限られました。
  • 沖縄・小笠原諸島…アメリカの統治下に置かれました。
  • 植民地…朝鮮、台湾は日本から解放されました。
  • 北方領土…ソ連によって占拠されました。

帰国

敗戦から1947年5月末までに約540万人の軍人や民間人が帰国しました。また、日本から多くの中国人や朝鮮人が帰国しました。

  • シベリア抑留…捕虜となった軍人が、強制労働をさせられました。
  • 中国残留日本人孤児…多くの日本人孤児が中国に残されました。

国民の苦難

工場などの破壊され、大量の引きあげがあり、多くの失業者とともに、食料不足に陥ります。

  • 物価の上昇…生産力が落ちて物不足となり、物価が上昇しました。
  • 失業…復員や引きあげで人口が増加し、失業者があふれました。
  • 食料難…配給がとどこおり、都市の住民は買い出しや闇市にたよるしかありませんでした。

占領の始まりと非軍事化

アメリカ軍を主力とする連合国軍が占領され、GHQの指令のもと行われました。また、極東国際軍事裁判によって戦犯の裁判が行われました。

  • 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)…GHQの指令に従って日本政府が政策を実行する間接統治が行われました。
  • マッカーサー(1880~1964)…GHQの最高司令官として大きな影響力を発揮しました。

占領政策

GHQは、軍国主義を改め民主主義を根づかせることを占領政策の基本方針としました。 非軍事化により、軍隊は解散させられました。

極東国際軍事裁判(東京裁判)

  • 戦争犯罪人(戦犯)…戦争指導者の責任が追及され、裁かれました。
  • 公職追放…職業軍人や大政翼賛会の幹部など戦争中に重要な地位にあった人々は公職(政界、言論界、財界など)から追放されました。
  • 天皇の「人間宣言」…天皇は神であるとされてきましたが、昭和天皇自身がそれを否定し(人間宣言)、神道も国家から切りはなされました。

GHQの民主化

GHQの方針で民主化と非軍事化は、 GHQの占領の基本方針でした。日本社会の経験として、大正デモクラシーの経験が生かされました。

改革 財閥解体 農地改革 普通選挙法 日本国憲法の制定 教育基本法
内容 戦争を経済面から支えていた財閥の解体 多くの小作農が自作農になった 満20歳以上の男女に選挙権が与えられた 国民主権・基本的人権の尊重・平和主義を基本原則 民主主義の教育の基本方針として定めた法律

政治の民主化

  • 政治活動・言論の自由…治安維持法が廃止され、戦前は非合法とされ、弾圧された社会主義や共産主義の政党も活動を開始しました。
  • 女性参政権…選挙法が改正され、満20歳以上のすべての男女に選挙権があたえられ、女性が選挙権を獲得しました。

経済・社会の民主化

  • 財閥解体…日本経済を支配してきた。三井・三菱・住友・安田などの財閥が解体されました。
  • 労働者の権利…労働者の団結権が認められ(労働組合法)、 労働条件の最低基準が定められました(労働基準法)。
  • 農地改革…地主が持つ小作地を政府が買い上げ、小作人に安く売りわたす農地改革が実施されました。結果として、多くの自作農が生まれました。

朝鮮戦争

朝鮮の動きとして、日本の植民地支配から解放されましたが、北緯38度線を境に、北をソ連、南をアメリカに占領されました。

  • 南北分断…1948年、南に大韓民国(韓国)、北に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という二つの国が成立しました。
  • 朝鮮戦争…1950年、北朝鮮が韓国に侵攻して戦争が始まりました。国連の対応として、安全保障理事会はこの紛争を北朝鮮の侵略と決議しま した(理事会にソ連は欠席していました)。
  • アメリカの対応…アメリカは国連軍として韓国を支援しました。
  • ソ連…中国の対応:ソ連は武器や航空機を、中国は義勇軍を送り、北朝鮮を支援しました。
  • 休戦協定…1953年に休戦協定が結ばれ、戦闘は停止されましたが、平和条約は結ばれないまま現在にいたっています。

日本と朝鮮戦争

朝鮮戦争は戦後日本の転機となりました。

  • 基地の使用…日本本土や沖縄のアメリカ軍基地が、出撃や補給のために使用されました。
  • 特需…大量の軍需物資が日本で調達されました(特需)。この特需によって日本の経済は好景気をむかえ、経済の復興が早まりました。
  • 警察予備隊…1950年, 在日アメリカ軍が朝鮮戦争に出兵すると、GHQの指令で警察予備隊がつくられました。
  • 自衛隊…警察予備隊はしだいに強化され、1952年に保安隊、1954年に自衛隊となりました。

占領政策の転換

冷戦が厳しさを増すと、アメリカは日本を西側陣営の一員にするため、非軍事化、民主化を柱とする占領政策を転換しました。

  • 経済政策…大企業を中心に経済を発展させるため、賠償計画や独占禁止を緩和しました。
  • 労働運動…公務員の争議行為を禁止したり、労働組合が計画していたストライキの中止を命令するなど、労働運動を抑圧しました。
  • 公職追放…共産党員を公職から追放し、旧軍人や戦争指導者の公職追放を解除しました。

サンフランシスコ平和条約

1951年9月、日本は、アメリカ・イギリスなど48か国と平和条約を結び、講和しました。

  • 全権の回復…日本は独立国としての主権を取りもどしました。
  • 植民地・領土…朝鮮の独立を承認し、台湾・千島・南樺太などを放棄しました。
  • 沖縄・小笠原…沖縄(琉球諸島)、 奄美諸島、小笠原諸島を分離し、引き続きアメリカが統治することに同意しました。
  • 中国…中華人民共和国も台湾(国民政府)も講和会議に招かれませんでした。
  • 調印…ソ連、ポーランド、チェコスロバキアは出席しましたが調印を拒否し、インド、ビルマ(現在のミャンマー)、ユーゴスラビアは出席を拒否しました。

日米安全保障条約

  • 基地の提供…アメリカ軍の駐留を認め、軍事施設や区域(軍事備品)を提供しました。
  • 西側の一員…独立を回復した日本が西側の一員となることが明確しなりました。

安保条約改定

1960年1月、日本はアメリカと新しい安全保障条約を結びましたが、国内では大規模な反対運動が起きました。

  • 改定の内容…日本において, 日米いずれかが武力攻撃されたとき、在日アメリカ軍と自衛隊とが共同して行動することが決められました。
  • 反対運動のおこり…戦争に巻きこまれる危険が増大するとして反対運動が起きました。
  • 反対運動の激化…自民党が衆議院で条約承認の採決を強行したため、安保反対の運動は大規模な反政府運動に発展しました。

この頃の日本

自民党長期政権が続いていました

  • 55年体制…自由民主党(自民党)が、野党第一党の日本社会党(社会党)と対立しながら、政権をとり続ける体制が成立しました。
  • 自民党…1955年、保守勢力の自由党と日本民主党が合同し、自由民主党(自民党)が成立しました。
  • 社会党…1955年左派と右派に分裂していた日本社会党が統一しました。

アジア・アフリカ会議

アジア・アフリカ会議は、1955年、インドネシアのバンドンで開催。基本的人権や国連憲章の尊重、正義と国際義務の尊重などの平和10原則を採択。植民地独立付与宣言として、1960年(「アフリカの年」と呼ばれる)に国連総会で植民地主義の終結が宣言された。

  • アジア・アフリカ会議…1955年、29か国が参加し、バンドン(インドネシア)で開かれました。
  • 平和十原則…アジア・アフリカ会議で定められた平和共存のための原則で、国連憲章の尊重、内政不干渉、侵略行為や武力行使をしないことなどがうたわれています。

米ソ関係とヨーロッパの動向

  • キューバ危機…1962年、ソ連がキューバで核ミサイル基地を建設していることが明らかとなり、米ソの対立が核戦争に発展する危機をむかえました。
  • 部分的核実験停止条約…1963年、アメリカ・ソ連・イギリスが参加して、地下を除く核実験の停止を定めました。
  • ヨーロッパ共同体(EC)…1967年に、フランス・イタリアなど6か国が参加して発足しました。関税や規制をなくして物や人が自由に動けるようになりました。

EC(ヨーロッパ共同体)は、成立後、1993年、マーストリヒト予約の発効により、EU に発展。本部はベルギーのブリュッセル。

ベトナム戦争

アメリカの軍事介入で、戦争は長期化しました。

  • フランスからの独立…1954年、独立戦争を戦ってきたベトナム民主共和国とフランスとの間で休戦協定が結ばれましたが、1955年にべトナム共和国(南ベトナム)が成立し、戦争となりました。
  • アメリカの軍事介入…南ベトナムを軍事的に支援したアメリカが、1960年代半ばから本格的な軍事的介入を始め、戦争は長期化しました。
  • 中ソの支援…中国とソ連は、北ベトナムと南ベトナム解放民族戦線を支援しました。
  • 終結…国内外の反戦運動と経済的負担のため、1973年にアメリカはベトナムから撤退しました。1975年、ベトナム戦争は終結し、1976年、南北が統一されてベトナム社会主義共和国が生まれました。

55年体制

55年体制は、自由民主党(自民党)が、野党第一党の日本社会党(社会党)と対立しながら、政権をとり続ける体制が成立しました。

  • 自民党…1955年、保守勢力の自由党と日本民主党が合同し、自由民主党(自民党)が成立しました。
  • 社会党…1955年、左派と右派に分裂していた日本社会党が統一しました。

その後、55年体制の下、ロッキード事件、リクルート事件の構造汚職と呼ばれる事件が起こり、自民党の長期政権により進行した政・官・財の癒着が問題となった。

原水爆禁止運動

  • 第五福竜丸…1954年、アメリカの水爆実験で遠洋まぐろ漁船の第五福竜丸が被ばくし、乗組員一人が亡くなる事件が起きました。
  • 原水爆禁止運動…第五福竜丸事件をきっかけに原水爆禁止運動が全国に広がり、1955年、第1回原水爆禁止世界大会が開かれました。

高度経済成長

高度経済成長は、1955から1973年にかけて重化学工業を産業の主軸に経済の成長を果たしてきました。1950年代半ばまでに戦前の水準に復興しました。高度経済成長に国民の生活も変化し、家庭電化製品、新幹線、高速道路と建設が続きました。一方で、公害・過疎化・過密など社会問題が顕在しました。石油危機後、高度経済成長の終わります。

1955年から1973年までの間、年平均10%程度の成長を続けました。また、池田勇人(1899~1965) 内閣が所得倍増をスローガンにかかげ、経済成長を推進しました。

  • 重化学工業中心…重化学工業が発展し、エネルギー源が石油に変わり、太平洋岸を中心にコンビナートや製鉄所が建設されました。
  • 国民総生産(GNP)…1968年に資本主義国の中で第2位となりました。

国民生活の変化

高度経済成長で所得が増え、生活が変化しました。

  • 生活水準の向上…家庭電化製品や自動車が普及しました。
  • 交通網の発達…新幹線、高速道路、空港などが整備され、人やものがより速く移動できるようになりました。
  • 中流意識…国民の多くが、自らを中流と考えるようになりました。
  • メディアの発達…世界中の情報が伝えられるようになりました。

社会問題

高度経済成長は社会問題も生み出しました。

公害問題

公害問題

  • 過疎・過密…農村では過疎化が進んだ反面,、都市は過密となり、住宅不足、交通渋滞、ごみ処理などの問題が起きました。
  • 公害問題…経済が高度成長を続ける一方で環境への配慮はないがしろにされ、各地に公害問題が発生しました。
  • 四大公害裁判…新潟水俣病・四日市ぜんそく・イタイイタイ病・水俣病では、企業の責任を追及する裁判が起こされ、いずれも住民が勝訴しました。
  • 政府の対策…公害対策基本法を制定し(1967年)、環境問題対策を進めるために環境庁を設置しました(1971年)。

経済大国日本

  • 石油危機(オイル・ショック):1973年、第四次中東戦争をきっかけに石油価格が上昇しました。→不況→高度経済成長の終わり
  • 不況対策…経営の合理化、省エネルギー化を進めました。
  • 経済大国…日本製品の海外への輸出がのび、貿易黒字が増えました。その結果、経済大国としての役割を果たすことを求められる。

冷たい戦争(冷戦)

東西両陣営の対立は、戦争のような厳しい緊張関係の続くものとなり、「冷たい戦争(冷戦)」と呼ばれました。

東西対立

アメリカを中心とする資本主義陣営(西側陣営)とソ連を中心とする共産主義陣営(東側陣営)が、勢力を拡大しようと競い合いました。

  • 核兵器開発競争…1949年、ソ連の原子爆弾の実験成功で、核兵器におけるアメリカの絶対的な優位がくずれ、米ソは核兵器の開発競争を始めました。
  • 東西ドイツ…ドイツは、1919年にドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)に分かれて独立しました。
  • 北大西洋条約機構(NATO)…1949年、アメリカや西ヨーロッパ諸国が結成しました。
  • ワルシャワ条約機構…NATO結成に対抗し、1955年、ソ連は東ヨーロッパ諸国とワルシャワ条約機構を結成しました。

国際連合誕生までの経過

  • 国際連合憲章の原案…1944年、アメリカ、イギリス, ソ連、中国(国民党政府)の代表が
  • 国際連合憲章の原案をまとめました。
  • 国連憲章調印…1945年6月、サンフランシスコ連合国会議で国連憲章が調印されました。最初から参加した原加盟国は51か国でした。
  • 国際連合の発足…1945年10月24日、国際連合が正式に発足しました。

国際連合の組織

  • 総会…全加盟国で構成される国連の中心機関です。
  • 安全保障理事会…世界の平和と安全を維持するためにつくられた機関です。

<詳しく>

中学公民「国際連合のしくみと国際社会」
中学公民「国際社会」領土問題・国際連合・地域主義についてまとめています。 国際連合 1945年に発足。本部はニューヨーク。 安全保障理…

冷戦の終結

東ヨーロッパ諸国で民主化運動がおこり、共産党政権崩壊。また、東西ドイツ統一・ソ連解体など相次いでおこり、冷戦の終結が終結します。冷戦の終結後は、国際連合の役割が高まります。国際協調への動きとなり、地域統合、地域協力がさかんになりました。

ソ連の動向

  • 国力の低下…アフガニスタン侵攻は軍事費を増大させました。
  • 計画経済の見直し:ゴルバチョフ政権は、西側陣営との関係を改善し、計画経済の見直しを進めました。

冷戦の終結

  • 民主化運動…1989年、東ヨーロッパで民主化運動が起こり、各国で共産党政権がたおれました。
  • ドイツ統一…1989年、ベルリンの壁が撤去され、1990年、東西ドイツが統一されました。
  • 冷戦の終結…1991年、ソビエト連邦が解体し、冷戦が終結しました。

国際連合

東西対立のためにじゅうぶん機能しなかった国際連合の役割が、冷戦の終結とともに高まりました。
国際連合の組織

  • 主要国首脳会議(サミット)…1975年、6か国で始められましたが、 1976年カナダ、1998年にロシアが加わり8か国となりました。
  • 総会…全加盟国からなる。年1回、定期的に開かれる。
  • 安全保障理事会…世界の平和と安全の維持が目的。

ヨーロッパ連合(EU)

1993年、EUが創設されました。EU域内の市場の統合され、EU域内で「人, 物, サービス, 資本」が自由に移動できるしくみをつくることをいいます。

<EU創設までの流れ>
マーストリヒト条約(1992年調印、1993年発効)→ヨーロッパ連合(EU) 共通通貨ユーロ導入(1999年、貿易などの決済通貨として、2002年、一般の取引に導入)。2013年、クロアティアが加盟するなど、東ヨーロッパへも拡大。

アジア太平洋経済協力会議(APEC)

地域協力と経済発展を図ることを目的として、1989年に設立されました。太平洋を囲む21の国や地域で構成されています。

<主要な加盟国>

  • アメリカ…世界最大の工業国。政治・経済の中心国。
  • ロシア連邦…石油・原油・天然ガスなどに恵まれている。
  • 中国…日本は輸出入とも中国が最大の貿易相手国。工業化が進み世界の工業と呼ばれている
  • オーストラリア…日本のほぼ真南に位置の南半球にあるため季節は逆。日本は石炭・鉄鉱石をオーストラリアから最も多く輸入。
  • チリ…南アメリカ大陸の太平洋側に南北に長く連なる国
  • ペルー…かつて栄えたインカ帝国の遺跡が多く残る。金の生産量は世界一。2008年の調査では、漁業の生産量世界第2位。

地域紛争

民族、宗教、文化のちがいや国家間の対立が原因です。イラクがクウェートに侵攻した湾岸戦争。2001年に起こった同時多発テロを理由とするアメリカのアフガニスタン攻撃、イラク戦争など、民族・宗教などの違いから紛争が続いています。
紛争

  • 湾岸戦争…1991年、イラクのクウェート侵攻がきっかけで起きました。
  • アフガニスタン攻撃…2001年、アメリカで起きた同時多発テロを理由に、アメリカがアフガニスタンを攻撃して始まりました。
  • イラク戦争…2003年、アメリカが主導して起こしました。

地域紛争解決のために

国際連合

  • 平和維持活動(PKO)…国連が地域紛争解決のために組織します。
  • 非政府組織(NGO)…民間で組織されるもので活動分野は広範囲です。

日本の国際貢献と国際協調

自衛隊の海外派遣に関しては、1992年にPKO協力法が制定されたことを受け、自衛隊の国連平和維持活動(PKO)への参加が行われるようになった。

  • 経済援助…日本の政府開発援助(ODA)の額は世界の中で多いほうですが、国民所得に対する比率は低いという課題があります。
  • PKO…国連平和維持活動の略号です。停戦監視、復興支援、選挙などの行政支援などのために国連が各国に呼びかけ、組織します。

日米関係

1996年に日米安全保障共同宣言を発表し、協力関係を強化しました。

  • 課題…日米関係は、同時多発テロ事件以降、アメリカの軍事行動への協力をめぐって意見が分かれています。
  • 北朝鮮との関係…拉致問題、国交問題など困難な課題があります。

自衛隊

自衛隊は防衛だけでなくさまざまな活動を行う。

  • 国際連合の平和維持活動(PKO) 復興支援や護衛など。カンボジアや東ティモール, イラン、ソマリア沖など。
  • 災害支援…東日本大震災などの自然災害で災害支援を行う。
警察予備隊
日本ではこの朝鮮戦争を機に、警察予備隊が創設されました。警察予備隊は保安隊に改編され、その後現在の自衛隊となった。自衛隊の任務には防衛だけでなく、治安維持のための出動や災害派遣が含まれています。
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