奈良時代についてまとめています。奈良時代関して、聖武天皇政治、天平文化、人々の生活、年表などにもふれています。それでは、奈良時代(聖武天皇政治と天平文化)です。
ここで差がつく!
➊鑑真は、日本に渡来し、唐招提寺を建てるなど日本の仏教の発展につくした唐の僧
➋正倉院は、聖武天皇の宝物が数多くおさめられている東大寺の倉。校倉造で有名な建物。
➌唐の進んだ制度が伝えられた。その結果、6歳以上の人々に口分田を与える土地制度(班田収授法)がつくられた。
➊鑑真は、日本に渡来し、唐招提寺を建てるなど日本の仏教の発展につくした唐の僧
➋正倉院は、聖武天皇の宝物が数多くおさめられている東大寺の倉。校倉造で有名な建物。
➌唐の進んだ制度が伝えられた。その結果、6歳以上の人々に口分田を与える土地制度(班田収授法)がつくられた。
【記述対策】聖武天皇が国ごとに国分寺と国分尼寺をつくらせた理由
➨仏教の力で国を守ろうとした。
➨仏教の力で国を守ろうとした。
奈良時代
平城京は、710年、中国(唐)の都・長安に手本に、奈良につくられた都です。以後、約80年間を奈良時代といいます。
- 大宝律令…文武天皇(701)
- 養老律令…元正天皇(718)
どちらも、藤原不比等が関わっていることをおさえておきましょう。また内容のポイントは、「大宝律令は、唐の律令にならいながらも、独自の実情にあわせてつくられている」点です。ちなみに、律は、現在の刑法に相当し、令は行政法・民法に相当します。
大化の改新
645年、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足(のちの藤原鎌足)らが豪族の蘇我氏をたおして始めた改革です。蘇我氏は。聖徳太子の死後、権力を独占していました。
➊政治…天皇中心の国づくりをすすめ、土地や人民を国のもととしました。公地公民がその例です。
➋壬申の乱…天智天皇の死後、皇位をめぐっておきた争いです。争いに勝った天武天皇が力を強めます。
➋壬申の乱…天智天皇の死後、皇位をめぐっておきた争いです。争いに勝った天武天皇が力を強めます。
大宝律令
701年、中国(唐)の律令制度にならって定められ、天皇を中心とする、法令にもとづく政治のしくみが整えられました。大化の改新の考え方を実現することになります。
➊律…刑罰についての法
➋令…一般の法律
➋令…一般の法律
聖武天皇の政治
仏教の力で国を治めようとしました。都に東大寺と大仏、地方に国分寺、国分尼寺をつくりました。この寺が全国に分布していたことから、天皇の力が全国におよんでいたことがわかります。
奈良時代の人々の生活
人口の増加による口分田の不足や重い税のため口分田を捨て、農民が増加しました。これにより、743年、墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)で開墾(かいこん)した土地の永久私有を認めました。これが荘園のおこりです。
- 口分田…6歳以上にあたえられた土地のことです。
- 荘園…貴族や寺・自社の私有地です。
天平文化
中国の文化と仏教のえいきょうが強い、国際色豊かな文化です。正倉院(東大寺にある倉庫)の宝物(西アジアの文化の影響も)など。古事記、日本書紀、万葉集などの書物が完成します。
- 遣唐使…中国(唐)の政治のしくみや文化を取り入れるために送られました。
- 鑑真…唐の僧。日本に渡り、唐招提寺を建てて仏教の発展につくしました。
- 古事記・日本書紀…神話や伝承などをもとにまとめた歴史書。
- 風土記…国ごとに、自然、産物などを記した。
- 万葉集…奈良時代に、さまざまな身分の人々の歌を集めてつくられた和歌集。
- 道鏡…称徳天皇の支持により法王となって権力を握り、撃田開発を寺院だけの特権とするために、墾田永年私財法を停止するなどした。
- 和気清麻呂…藤原百川らとともに、皇位に就こうとする道鏡の企 てを阻止した。
- 行基…民衆のために橋やため池などをつくった僧です。大仏づくりに協力しました。
このころの年表
- 603 冠位十二階が定められる。
- 604 十七条の憲法が定められる。
- 645 大化の改新が始まる。
- 701 大宝律令が定められる。
- 710 都が平城京にうつる。
- 743 墾田永年私財法が出される。
- 752 東大寺の大仏が完成する。
奈良時代の練習問題
次の問いに答えよ。
- 710年に奈良県に作られた都をなんというか。
- 743年に定められた、開墾した(自分で耕した)土地であれば、永遠に自分ものにできる法律をなんというか。
- 741年に全国の各国に建てられたお寺をなんというか。
奈良時代の解答
- 平城京
- 墾田永年私財法
- 国分寺・国分尼寺
以上が、【中学歴史】奈良時代の重要ポイント|聖武天皇の政治・天平文化となります。
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