仏教の教え「命が見えにくい時代」

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今日は学校の行事で、仏教の教えについて貴重な話を聞くことができました。命の尊さを訴える話で、とても印象に残りました。

命が見えにくい時代

何気なく日常を生きていると、自分自身が他の命によって生かされていることを忘れてしまいます。スーパーに並ぶ食品トレイに詰められたお肉も、もともとは自分と同じ一つの生命です。

今日は仏教の教えを、高校生にもわかりやすいように興味深いお話を聞かせていただきました。それは、お釈迦様がお釈迦様になる前の、とある王様のときの話です。

王様は、市民全員に平等に接していて、何事も真剣に取り組む素晴らしい王様でした。あるとき、鷹に襲われて逃げてくる鳩が王に助けを求めました。「鷹に追われているんです。このままでは鷹に食べられて死んでしまいます。」王様は、鳩を胸に抱き守ってやることにしました。

しばらくたって、鳩を追っていた鷹がお王様のもとにやってきました。「王様、鳩を見かけませんでしたか。鳩をつかまえなければなりません。」すると王様は、「鳩は今私が抱いている。この鳩を守っているのだ。鷹よ今日はあきらめて帰ってくれ。」と言いました。

しかし鷹は、「今日食料を持っていかないと、かわいい私の子どもたちが飢えで死んでしまうかもしれません。鳩だけをかばうのは不平等ではありませんか。」王様は困ってしまいます。

しばらくたって解決策を思いついた王様は、天秤を部下に持ってこさせます。鳩を天秤の片方に乗せ、「私の肉を鳩と同じ重さだけ持っていきなさい。」そういうと、自分の肉をナイフで切り、天秤のもう片方に乗せていったのです。切っては乗せ、切っては乗せ。しかし一向に天秤がつり合いません。そしてとうとう王様は骨とすじだけになってしまいます。

王様は部下に、「国のことを頼んだぞ。」と言い残し、自分の肉を乗せた天秤の上に倒れて死んでしまいました。すると、つり合わなかった天秤がつり合ったのです。

こんなストーリーだったかと思いますが、鳩の命もヒトの命も、重さは一緒なんです。食品トレイに並べられたお肉も、もともとは一つの命でした。母親の牛なら、子牛もいたかもしれません。そう考えると一回一回の食事の貴重さがわかります。

今日から出されたものは絶対に残さないようにしよう。どうしても食べることができない梅干しを除いては…。

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