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中3国語「おくのほそ道」序文・夏草の章の読解問題|実践問題でしっかり理解!

おくのほそ道アイキャッチ画像 中学国語
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中学3年生の国語で学ぶ『おくのほそ道』は、松尾芭蕉の紀行文として有名ですが、特に「序文」や「夏草」の一節はテスト頻出ポイント。古文のリズムや表現の美しさに触れながら、内容理解・現代語訳・読解のポイントを押さえることが大切です。本記事では、『奥の細道』序文・夏草の部分に焦点を当て、意味解説とともに練習問題を用意しました。定期テストや高校受験の古文対策にぜひご活用ください!

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おくのほそ道(夏草)の練習問題

次の古文を読んで、後の問いに答えよ。

月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。船の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を住家とす。➊古人も多く旅に死せるあり。予も、いづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、去年の秋、江上の破屋(隅田川河畔にある芭蕉庵)に蜘蛛の古巣を払ひて、やや年も暮れ、➋春立てる霞の空に、白河の関越えんと、➌そぞろ神のものにつきて心を狂わせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につかず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、三里に灸するより、松島の月まづ心にかかりて、住めるかたは人に譲り、杉風(さんぷう:芭蕉の門人)が別墅に移るに、

草の戸も 住み替わる代ぞ 雛の家

表八句を庵の柱に掛け置く。

おくのほそ道(夏草)より

<現代語訳>
月日は(     )であって、過ぎ去ってはまたやって来る年もまた旅人(のようなもの)である。船頭として船の上で生涯を過ごす人や、馬子として馬のくつわを引いて老いるのを待ち受ける人は、毎日の日々が旅であって旅を住処(すみか)としているのだ。(詩歌の道を究めた)昔の人も多くが旅をしながら亡くなっている。

私もいつの頃からか、ちぎれ雲が風に誘われて行くように、あてもなくさまよい歩きたいという気持ちがおさまらずに、海辺をさすらい歩き、去年の秋に、隅田川のほとりの古びた家に(旅から)戻り(留守にしておいた間にできていた)蜘蛛の巣をはらいのけて(住んでいるうちに)、次第に(その)年も終わり、立春の頃の霞の立ち込める空を見るについて、白河の関を越えてみようと、なんとなく人の心を誘い動かすそぞろ神が身に取り憑いて心を乱し、(旅人を守るという)道祖神が(旅へ)招いているようで、気がして取るものも手につかず、股引(ももひき)の破れを繕い、旅用の笠の緒を付け替えて、三里(膝のつぼ)に灸を据えるとすぐに、松島の月がまず気にかかったので、住んでいた家は人に譲って、杉風の別荘にうつる(と、次のような歌を詠んだ。)

私の住んでていたこのわびしい草庵も住人が替わることになった。次は華やかな雛人形なども飾られる家になることであろう。

表八句を(門出の記念に)草庵の柱に掛けておく。

【問1】(   )に適語を入れよ。
奥の細道の作品は、江戸時代の俳人(➊    )が、実際に旅をして、旅先の様子などを書いた(➋   )文である。

【問2】➊「古人」とは、ここでは、どのような人々を指すか。現代語訳を参考に簡潔に書け。

【問3】➋「春立てる霞の空に」の「立てる」に使われている表現技巧を漢字二字で書きなさい。

【問4】➌「そぞろ神のものにつきて心を狂わせ」と対句的な関係のある部分を古文中から抜き出しなさい。

【問5】「百代の過客」を現代語訳しなさい。

【問6】次の歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに直して、すべてひらがなで書きなさい。
➊行きかふ ➋いづれ ➌さすらへ ➍はらひて

【問7】作者は旅に備えてどんな準備をしたか、3つ答えなさい。

【問8】「草の戸も住み替はる代ぞ雛の家」の俳句の季語と季節を答えよ。

おくのほそ(夏草)の解答

【問1】➊松尾芭蕉 ➋紀行

【問2】詩歌の道を究めた昔の人々

【問3】掛詞

【問4】道祖神の招きにあひて取るもの手につかず

【問5】永遠に終わることのない旅をする旅人

【問6】➊いきかう➋いずれ➌さすらえ➍はらいて

【問7】➊股引の破れをつづり➋傘の緒付けかへ➌三里に灸すうる

【問8】季語:雛 季節:春

<現代語訳>
月日は百代にわたって旅を続けて行くものであり、来ては去り去っては来る年々も、また同じように旅人である。舟の上に身を浮かべて一生を送り、旅人や荷物を乗せる馬をひいて生涯を過ごし、老年を迎える者は、日々が旅であって、旅そのものを常のすみかとしている。風雅の道の古人たちも、たくさん旅中に死んでいる。わたくしもいつのころからか、ちぎれ雲を吹きとばす風にそぞろ誘われて、漂泊の思いが止まず、この年ごろは、海のあたりをさまよい歩き、昨年の秋、隅田川のほとりの破れ家にもどり、蜘蛛の古巣を払って久しぶりの住まいにようやく年も暮れたのだった。が、新しい年ともなれば、立春の霞こめる空のもとに白川の関を越えたいと願い、そぞろ神にとりつかれて物狂おしく、道祖神の旅へ出てこいという招きにあって、取るものも手につかない。股(もも)引きの破れをつづくり、笠の緒をつけかえて、三里に灸をすえると、もう心はいつか旅の上-松島の月の美しさと、そんなことが気になるばかりで、二度と帰れるかどうかもわからない旅であるから、いままで住んでいた芭蕉庵は人に譲り、杉風(さんぷう)の別荘に移ったところ、
 
草の戸も住替る代ぞひなの家(わびしい草庵も自分の次の住人がもう代わり住んで、時も雛祭のころ、さすがに自分のような世捨人とは異なり、雛を飾った家になっていることよ)

と詠んで、この句を発句にして、面八句をつらね、庵の柱に掛けておいた。

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