岩倉使節団とは?(中学歴史)

スポンサーリンク

中学歴史「岩倉使節団」不平等条約改正・清や朝鮮との条約についてまとめています。

岩倉使節団

岩倉使節団は、不平等条約の改正が目的。岩倉具視を全権大使として、木戸孝允大久保利通、伊藤博文らを欧米に派遣→改正交渉は不成功。欧米を視察して帰国。

スポンサーリンク

政府内の対立

西郷隆盛大久保利通の対立。1873年に西郷隆盛が政府を去る。国内に残った西郷隆盛板垣退助らが征韓論を唱える。

  • 西郷隆盛…1877年に西南戦争をおこすが鎮圧される→政府批判は武力によるものから言論中心に変化。
  • 板垣退助…1874年に民撰議院設立の建白書を政府に提出。自由民権運動の先がけとなる。
  • 大久保利通…欧米から帰国した大久保利通らは国家の近代化を優先。

自由民権運動の始まり

板垣退助らは大久保利通らと政策を専制政治であると批判。国民が政治に参加できる道を開くべきだと主張し、民撰議員院設立の建白書を提出し国会の開設を求めました。板垣退助は、高知で立志社を結成し、運動を進めました。

清や朝鮮との関係

1871年に清と日清修好条規、1875年の江華島事件を口実に1876年に朝鮮と日朝修好条規を結ぶ。

  • 清…対等な立場の日清修好条規を結ぶ。
  • 朝鮮国…武力で開国を迫る。征韓論が高まりますが、岩倉具視や大久保利通らが反対。西郷隆盛板垣退助らが政府を去る。(明治六年の政変)。軍艦を派遣して、江華島事件を引き起こし、日本に有利な不平等条約の日朝修好条規を結んで開国させます。

国境の確定

1875年樺太・千島交換条約で千島列島の領有、1876年小笠原諸島の領有が確定。

  • 北海道…蝦夷地を北海道と改め、開拓使を設置。屯田兵による開拓。先住民のアイヌの人々に対する同化政策。
  • 沖縄県…1872年琉球王国を琉球藩とし, 1879年には沖縄県を設置(琉球処分)。

このころの重要用語

  • 文明開化…欧米の文化が取り入れ生活が変化。
  • 食事の変化…洋服・牛肉料理・洋館の建築など。
  • 新しい暦…太陰暦から太陽暦を採用。
  • 新しい思想…福澤諭吉が「学問のすすめ」を著す。
  • 岩倉使節団…岩倉具視を全権大使として、木戸孝允・大久保利通らが欧米を視察。不平等条約の改正には失敗。
  • 殖産興業…近代的な産業を育成する政策。
  • 官営模範工場…群馬県の富岡製糸場などを設立。
  • 交通の整備…1872年新橋-横浜間に鉄道が開通。
  • 北海道の開拓…開拓使が設置。屯田兵らが改革を進める。帰国した岩倉使節団の人々は日本の近代化を進めた。
スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク
トップへ戻る