【中学歴史】55年体制と安保条約改定

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【中学歴史】55年体制と安保条約改定についてまとめています。自民党長期政権となり、55年体制となりました。安保条約改定もおこなれましたが、激しい反対運動が起きました、

55年体制

55年体制は、自由民主党(自民党)が、野党第一党の日本社会党(社会党)と対立しながら、政権をとり続ける体制が成立しました。

  • 自民党…1955年、保守勢力の自由党と日本民主党が合同し、自由民主党(自民党)が成立しました。
  • 社会党…1955年、左派と右派に分裂していた日本社会党が統一しました。

その後、55年体制の下、ロッキード事件、リクルート事件の構造汚職と呼ばれる事件が起こり、自民党の長期政権により進行した政・官・財の癒着が問題となった。

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原水爆禁止運動

  • 第五福竜丸…1954年、アメリカの水爆実験で遠洋まぐろ漁船の第五福竜丸が被ばくし、乗組員一人が亡くなる事件が起きました。
  • 原水爆禁止運動…第五福竜丸事件をきっかけに原水爆禁止運動が全国に広がり、1955年、第1回原水爆禁止世界大会が開かれました。

安保条約改定

1960年1月、日本はアメリカと新しい安全保障条約を結びましたが、国内では大規模な反対運動が起きました。

  • 改定の内容…日本において, 日米いずれかが武力攻撃されたとき、在日アメリカ軍と自衛隊とが共同して行動することが決められました。
  • 反対運動のおこり…戦争に巻きこまれる危険が増大するとして反対運動が起きました。
  • 反対運動の激化…自民党が衆議院で条約承認の採決を強行したため、 安保反対の運動は大規模な反政府運動に発展しました。
日米安全保障条約(安保条約)
1952年には日米行政協定を結んだ。これらにより、日本はアメリカを中心とする資本主義陣営の一員となり、アメリカ軍が引き続き日本に駐留することとなった。

昭和時代の復習

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